形式体系 Formal System


|| そういや形式の意味って?

まず、そもそも「形式」って何? という話。



感覚的には、かっちりしてる「ルール」みたいな何かのことです。

「一定のやり方」と捉えてもそう間違ってないでしょう。

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少し堅く言うなら「それ以外に受け取りようがない」ようなものです。

もっとざっと言うなら「みんな分かるはずのもの」みたいな。




定義的に『数学』ですから「構造」が定義されています。

「うまく定義されている」こともまたこれの一部です。

形式ってのは、まあそういうことな感じ。






具体例


数学も形式体系ですが、他にも当然あります。

ルールが明確に決まってるものは大体全部そうです。




例えば、形式言語とか。

いわゆるプログラミング言語なんかがそうです。



紛れが全くないですし、記号も文法も規則も全部はっきりしています。

ダメなものはダメとちゃんとエラーも吐きますし。




解釈は分かれると思いますが、人間の言語もあります。

「エスペラント」と呼ばれる人工言語です。



これは成立過程からして形式的なものになります。

いわゆる「共通する概念」という部分が形式的です。




この「形式」の要件は以下のような感じ。

記号(アルファベット)文法(欧文)

公理群(単語)推論規則(LKと他)定理群(フレーズ)



推論規則の部分でちょっと突っ込みがきそうですね。

来ても、まあそうね、と言うくらいしかできませんが。







形式主義 Formalism


|| 形式的にしたい感じ

字面の通り「形式を重視する姿勢」のことですね。

なにごともしっかりやりたい感じの主義主張です。




さて、そもそもなんで形式を重視するのかというと、

形式体系は「紛れが無い」という性質を持っているからです。

誰が見ても、それはそうとしか考えることができません。



そのため「誰が見ても同じように解釈できる」わけです。




ですから「なにかを正しいと言いたい」なら、

「形式的にする」ことで、その「根拠を明確に」します。




これを取り入れなかった場合、その学問は正当性が希薄になります。

「考えるな、感じろ」みたいにしか正しさの根拠を提示できません。




でもまあ、そんな学問もあるにはあります。

例えば「哲学」とか、その分科の「倫理」とかですね。

「善とはなにか」「よくわかんないけど、なんか分かる」みたいな。



まあ、これは単にモデルを単一で捉えて個別に解釈するか、

それとも群れで捉えてそれは別に解釈するかの話ではあるんですが。

要はあれです。人と人は違うよネっていう、そういうお話。




さて、この形式主義ですが、

最も有名な例としては、やはり『科学』でしょうか。

形式主義と言えば、やはりこの学問です。




それでいて「正当性を欲する」学問に関しては、

その「全て」が形式主義と言えるでしょう。

寧ろ学問の場合は、それが当然です。






話は少し逸れますが、我が国の学校教育なんかもそんな感じです。

ただ一つの「紛れのない」「明らかな」解答(教科書に従え)

という感じの主張が強いですから。



ただまあ、そこは教育(教師も含めて)ですからね。

ルールなんで、しゃあない。




それに「個人」とかいう馬鹿みたいに大量のパラメータ持ちの、

更にその群れっていう、もっと意味不明なものを教育では扱います。



学問のように「明確な概念」を扱うようにはやれないでしょう。

というか、そもそもなんでそんなことするの? って話ですけど。



今の時代、もうちょい柔軟で良いと思うんですが。



話が逸れました。

これじゃ形式主義を履き違えた社会に対する単なる愚痴ですね。

ともかく、形式主義っていうのは誤解されがちと覚えてください。






形式体系の厳密な定義


形式体系は、構造と似た形で定義されています。



その要件は主に5つです。

どれも言われてみれば当たり前のことなので、覚えやすいと思います。






記号・文字・シンボルなど「文を記述するもの」


「あいうえお」だとか「アルファベット」だとか「数字」だとか。

そんなの「なにかを表す記号」のこと。

当然のようですが、『人間が扱うために』有限でなければいけません。




文法「正しい文を構成する方法」


例えば、プログラミング言語など。

それの「文法規則」なんかが一番分かり易いかもしれません。




公理群(あるいは公理スキーマ)


要は「とりあえず正しいもの」の集まりです。

正しいとしておかないと、話が進められませんからね。




推論規則


妥当なもの(真の命題から真の命題が得られる)でないと、

「当然な感じから変な感じになる」ので、まあ意味ないです。

あってるのから間違ったものが導かれるものには「用途が無い」ので。



大体LKが使われます。(詳しくは証明論で)




定理


公理と推論規則から得られた「成果」と言って良いと思います。

人間の直観に、非常に近いものです。






上に示した「構造」の順番はあんな感じですが、

発見の順番は上とはまるで異なります。




というのも、「公理」はあまり直観的ではありません。

それに「公理」は極限まで無駄を省かれて完成されるものです。

直観と離れるのは当然と言えば当然のことかと。




「推論規則」も、人はあまり意識しません。

それに、これは論証の過程です。

論の主役ではありません。

(今はLKが確立されてます)




記号や文法も、言語学からの輸入となります。

やはりこれも論の出発点としては変です。




消去法というつもりはなかったのですが、

残る一つである「定理」がこの答えになります。




形式体系」の出発点は「定理」です。

「定理(直観的な事実)」を「証明」するために、

その規則である「形式体系」は生まれるのです。




見ての通り『形式に組み込まれる』わけではありません。

結果として「出来の良い形式」が、色々含むだけです。

なにかを説明できない形式は、拡張されるか見直されます。



はい、そうやって生まれたのが『数学』なわけです。

そりゃあ「正しい」ですよね。




そして、主役はあくまで「直感」です。

形式体系(数学)は、それを説明するためのものになります。