答えが出ない問題について


|| 答えが出ないのは前提が不足しているから

いわゆる「答えが出ないと言われてるもの」について、

なんで答えが出ないのか、その理由を説明してみました。

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モデリングの基本


前提「一階述語論理とか、要は数学」

必須情報「抽象情報と具体情報は必ず使う」



使う材料「有限集合とクラス」

『全』の解釈「人に観測されるもの限定」

   後者規則「入力されていく感じ」




材料のラベル「クラスの中身の名前」

情報「あらゆるものは情報で構成されてるとする」





ここから本題


大枠「クラス(類)・出発点」

   非束縛抽象概念「真偽に影響を与える自由変数を持つ概念」

      自由変数「なんでも入れて良い輪っかみたいな感じ」

 

   答えが出ない理由「真偽を左右する自由変数の存在」

 


最小単位「1文/主張が最小単位になる」

   完全定義不可能原理「定義できない部分が存在する」

 


分類「要素または部分集合になるもの」

   排反条件「共通部分が無いように2つに分割する条件」

      例外排除「極端な例外を↑で排除」

 

   広義抽象概念「意味を可能な限り広くとった概念」

   狭義抽象概念「意味を分かりやすく限定した概念」

 

形式的なまとめ








答えが出ない問題って、ありますよね?

なんか、哲学的な感じがするあれやこれや、みたいな。

 

 

具体的には、善悪とか正義とか愛情とか、

いわゆる「抽象的過ぎる概念」なんかの議論でよく見ます。

こいつらには答えは無いよ、みたいな感じで。

 

 

 

しかし、実際はどうでしょうか?

本当に、答えは無いのでしょうか?

 

 

例えば、我が子を命懸けで守る行為は?

親しい人のために一生懸命頑張る行為は?

この善悪の判断は、本当にできないのでしょうか?

 

 

結論としては、まあできますよね?

できないっていうのは、自然に考えて変な感じがします。

 

 

 

とまあ、話としてはこんな感じで、

『なぜ答えが出ないのか』ってことを考えていきます。

 

 

答えが無いと言われていつつ、

しかし答えらしきものは出る。

 

 

この理由について、説明を行っていく感じです。

具体的には「前提」の存在に注目して。








|| 前提をいじると答えが変わる抽象的な情報

前提として、答えが出ない問題は存在します。

で、この理由は『前提が不足しているから』です。はい。

 

 

 

ざっと説明すると、

要は「答えが出る状態じゃない」んです。

 

 

だから答えが出ないっていう、

まあ、言っちゃえばそれだけの話。

 

 

裏を返せば、「答えが出る状態にする」ことで、

これは「答えが出るように」なります。

 

 

 

 

 

答えが出ない問題

 

これは『高度に抽象化された概念』を扱うと出てきます。

その中でも「真偽を左右する自由変数を持つもの」は、

『そのままでは』必ず答えが出せません。

 

 

この理由はそのままですね。

『自由変数の値によって真偽が変わる』から、

答え(真偽)が定まりません。

 

 

 

でも逆を言えば、

前提を整備して条件を具体的にしていくと、

「答えが出るようにする」ことはできるんですよ。

 

 

どうすればいいかってのはすごい単純で、

「自由変数に具体的な値を入れる」だけ。

これだけで『答えが出るように』なります。

 

 

 

これが結論なわけですが、

まあこれだけだとよく分からんですよね。

 

 

 

というわけで、

もうちょっと具体的な説明をしてみます。

 

 

そのために、

とりあえず↓みたいな問題を考えてみましょうか。

 

 

1+x の答えを求めよ。

 

 

どうです? これ、答え分かりますか?

まあ分からんですよね。

 

 

そもそも「答え」の定義がよく分かりません。

どう答えたら良いのか分からないものには、

そもそも「答え方」すら存在しません。

 

 

仮に数字を求めるんだとしても、

そもそも x の中身が分かりませんよね。

 

 

自然数の範囲で良いのか。

それとも有理数までか。

はたまた実数? 複素数? それともそれ以外でもいい?

 

 

こうなってくるともう、

答えが出ると考える方が変です。

 

 

 

 

 

なんかよく分からん x

 

善悪なんかの問題とかも、

実はこれと同様の形式で答えが出せません。

 

 

というのも、実は『答えが出ない問題』には、

この x のようなものが含まれてるんですよ。

 

 

より正確に言うなら、

こういう x みたいなものがあるから、

答えが出ないものになってるんです。

 

 

 

ただ、見て分かると思いますが、

 

\begin{array}{lll} \displaystyle x=1&→&x+1=2 \\ \\ x=100&→&x+1=101 \end{array}

 

『答え方』を「具体的な数値を求める」こととして、

x の中身を決めてしまうと、

答えは出るようになります。

 

 

x の値によって答えは変わりますが、

x に具体的な値が入りさえすれば、

「答えは出るように」なるんですよ。

 

 

 

まあ要はこういう話でして、

善悪とかを考えてみる場合でも

実は同様のやり方で答えが出るようになります。

 

 

試しに、

人を殺すことが善か悪かを考えてみましょうか。

 

 

そのために、例えば

「快楽殺人者から家族を守る状況」を考えてみます。

すると、この場合ではどうでしょう?

 

 

ほとんどの人は、

この状況での殺人行為を

「悪に傾いていない」と思えるはずです。

 

 

整理すると、

「状況」を設定しただけで、

「悪とは言い切れない」という答えが出てきました。

 

 

『答えが出ないはずの問題』なのに、

ただ具体的な「状況」を設定するだけで、

「答えらしきもの」が出ちゃうんですね。不思議。

 

 

 

ただまあ、

これだけだといろいろ不十分なんですよ。実は。

 

 

というのもこれ、

このままでは答えが変わっちゃいます。

 

 

というのも、

一見、これは「悪とは言い切れない」んですけど、

「悪だ」と言い切る方法が実はあるんです。

 

 

「設定」をこのままにした状態で、

これが「悪に傾く」?

 

 

ちょっと疑問に思うかもしれませんが、

そんなに難しい話ではありません。

 

 

というのも、

例えば視点を変えてみるとどうでしょう?

 

 

具体的には、快楽殺人者の視点に立てば?

あるいは快楽殺人者を正当化したい視点に立てば?

 

 

他にも、悪の定義を

『殺人は理由に関係なく全て悪とする』

という感じに定めたなら?

 

 

あら不思議、

この場合は「悪に傾く」ことになります。

 

 

 

はい、とまあこんな感じなんですが、

これでなんとなく言いたいことはわかったと思います。

 

 

というのも、

この場合の「設定」なんですが、

これが x に相当するものなんですよ。

 

 

加えて「見えていなかったもの」

例えば「視点」や「定義」なんかは、

『答えの定義』に相当するものになります。

 

 

 

まとめると、

設定・状況が変わるから、答えは変わります。

 

 

答えが変わるのは、

この設定や状況が不確かで、

 

 

かつ、想定される状況によって答えが変わるから、

それらが不確かな場合では答えが出せません。

 

 

加えて「見えない情報」も存在していて、

それによって真偽が分かれることもあります。

 

 

雑にまとめるとこんな感じですね。

 

 

 

 

 

x とか状況とか

 

ここで、ざっと用語の確認をしておきます。

紹介したいのは『自由変数

 

 

↑の x とか「設定・状況」とか、

『なんでも入れて良い不確かな部分』

 

 

こういうのがあったと思うんですけど、

ここではこういうのを

「自由変数」と呼ぶことにします。

 

 

 

見て分かると思いますが、

この記事の中心はこの『自由変数』です。

ちゃんと覚えておきましょう。

 

 


 

 

自由変数・自由変項の解釈

 

学校で習った数学の感覚では、

変数と言えば、その中身に「数字」が来る

というイメージが強いでしょう。

 

0,1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,1.1,-1,\cdots

 

しかし実際は、数字に限る

なんて制約はありません。

 

 

 

分かりやすい例だと、

「文字コード」とかを見れば分かると思います。

 

\begin{array}{rlrr} \displaystyle \mathrm{Shift \, JIS} \\ \\ &1&0011&0001 \\ \\ &2&0011&0002 \\ \\ &&\vdots \\ \\ &a&0110&0001 \\ \\ &b&0110&0002 \\ \\ &&\vdots \end{array}

 

「バイナリ 0,1 」と「文字」は

このような形で定義されていて、

 

\begin{array}{rlc} \displaystyle 2&=1+1 \\ \\ 3&=1+1+1 \\ \\ &\vdots \\ \\ 10&=1+9 \\ \\ &\vdots \end{array}

 

これと同じように

私たちの知る「数字」も

0,1 と演算子」で定義されています。

 

 

 

はい、まあこんな感じですが、

両者を比較してみてどうですか?

なにか大きな違いはあるでしょうか?

 

 

 

 

 

数と数字と文字

 

扱い易さという観点から見てみると、

「数字」よりも「文字・画像」の方が

『人間にとって理解しやすい』のは明らか。

 

 

加えて『数の本質』は「比較できること」で、

それさえできればすべては数。

 

 

この2つの事実を踏まえて、

事実確認をしていきます。

 

 

 

したい話は『数の具体例』ですね。

主に「数字以外の数」についての話をしていきます。

 

 

まず「文字・画像など」ですけど、

これは『形が違えば違うと分かります』よね。

 

 

より厳密な話をするなら、

AB を比較」して、

その結果として「違う」となってますよね?

 

 

再度確認しますが、

「比較」した結果、

「違う」と分かったわけですよ。

 

 

はい、まあこんな感じで、

実は「文字」や「画像」なんかもまた

『数』としての性質を持ってるんです。

 

 

ちなみに「数字」の場合は『違い』に加えて、

『大小』の「比較」もできます。

 

 

 

結論としては、ざっくりとはこんな感じ。

どちらも『比較できる』から、

これらは「数」だ、と言えます。

 

 

 

 

 

より具体的な話をするなら、

01 は違う』ってことから、

「文字」なら『文字コード』なんかが創られてますね。

 

 

視覚的には、

『表の座標』に「文字の位置」を対応させて、

「文字の列」を「座標の列」で表現する感じ。

 

 

 

「画像」であれば、

「ピクセル単位の座標の集まり」と定義すれば、

『形』を「座標」という『数』で表現できます。

 

 

「色」もまた、RGBなどの指標を使えば、

赤緑青+明暗(白黒)のビット列で表現可能。

 

 

 

とまあこのように、

良い感じに「 0,1 を対応させることができる」なら、

あらゆるものは『比較確実性』を満たすんですよ。

 

 

なぜなら原理的に、

01 は違うと定義されてる』ので。

 

 

 

で、これでなんとなく分かると思いますが、

「数字だけ」が『数』だ、

とするのは明らかに変です。

 

 

『数の範囲』というのは

↑のようにどこまでも「広げることができる」わけで、

 

 

つまるところ、

『数』というのは「数字に限定されていません」

 

 

 

x だろうが \mathrm{Water} だろうが、

数として定義しようと思いさえすれば、

なんであれ、数として定義できちゃいます。

 

 

 

とまあこのように、

実は『数の範囲』というのは、

広過ぎるくらいに広いんです。

 

 

 

まとめると、

「数」の最小単位は「 0,1 の中身」であり、

これは「違う」などの『比較確実性』を満たします。

 

 

逆を言えば、あらゆる「数」は、

0,1 に変換することが可能』

 

 

 

ですから、

『数の意味』というのを考えると、

 

 

実際は「 0,1,2,3,4 」などの

「数字」に限定されてはいなくて、

「文字」や「画像」なんかも『数』だと言えるんです。

 

 

より正確には、

数ではないものは『比較』ができません。

しかし、そんなものはそもそも観測自体ができません。

 

 

というのも、

あらゆるものは『 0,1 で表現したい』なら、

 

 

「それ」と「それ以外」とすることで、

どうにでも『表現できてしまいます』

 

 

つまり『比較できないもの』とは、

「それ」だと『定義できないもの』だけ。

 

 

逆を言えば、「それ」だと定義できさえすれば、

「それ」は『数』だと言えてしまいます。

 

 

 

とまあそんな感じで、それくらい

『数の範囲』は広くとることができるんですね。

 

 

 

 

 

変数

 

肝心の『変数』なんですけど、

これは、要は「好きに数を入れられる枠」で、

 

 

何の制約も無い状態であれば、

実質的には『何を入れても良い』ってことになってます。

 

 

つまり『変数の中身』には、

「数字以外も入る」わけで、

なんなら、だいたいは「文字」が入りますね。

 

 

 

はい。

「変数」の解釈についてはだいたいこんな感じ。

 

 

学校で習う範囲だと、

どうしても「数字だけ」みたいな誤解をしてしまうので、

 

 

その辺りの固定観念を

ここらできっちり是正しておきましょう。

 

 

 

 

 

自由変数

 

続いて「自由変数」の「自由」の部分についてですが、

これは単純に「何入れても良いよ」

って感じだと思ってればだいたい合ってます。

 

 

まあつまり『自由変数』とは

『範囲指定のない変数』のことで、

どんな値(文字など)も入れることが可能。

 

 

とまあそんな感じで、

見たまま、やりたい放題できるので、

「自由変数」なんて名前がついています。

 

 

 

 

 

答えの解釈

 

そもそも「答え」って何なのか。

よく考えると、なんかよく分かんないと思います。

 

 

でも、これを明確にしないことには、

そもそも「答え」は出せません。

 

 

なんか変な感じがしますが、

「答え」ってのはまあこんな感じのものです。

 

 

 

結論から言っておくと、

『真偽が分かるもの』であれば、

基本的にはそれが「答え」になります。

 

 

ただ、これはあくまで

『最も違和感の無い定義』であって、

真実性が保証されたものとは言えません。

 

 

 

 

 

真実性と数学的真実性

 

「真実性が保証されている」って状態は、

基本的には非現実的です。

 

 

なので「真実性を保証したい」

という要望を『現実的に考える』なら、

『数学的な真実』を採用する必要があります。

 

 

 

ということで「そのようにする」と、

なにかを『正しいとしておく』という、

いわゆる『仮定』をしておく必要が。

 

 

具体的には、

↓みたいにする必要があります。

 

\begin{array}{rlc} \displaystyle 100&&&? \\ \\ 100&→&100&\mathrm{〇} \end{array}

 

厳密にはもっとごちゃりますが、

感覚的にはこんな感じ。

 

 

 

これは数学的な単なる事実なので、

完全に納得したいのなら数学を勉強してください。

詳細はカット。(モデル理論とかが中心)

 

 

 

ともかく、

「答えという概念の定義」に真実性を求めるために、

なにかを『正しいとしておく』必要があることは明らか。

 

 

なので、その『仮定』をきちんとすることにします。

 

 

例えば「法律は正義」ってことにして、

「裁判の判決」を『正しいことにする』みたいに。

 

 

 

この辺りの話は、

とりあえず、納得しておいてください。

 

 

詳しく知りたいなら、

『論証』の「論理的主張」とか、

「公理・定義・定理」とかを調べてみましょう。

 

 

 

 

 

答えの定義

 

てなわけで、ここで「答えという概念」を、

『真偽の判定が可能なもの』と仮定しておきます。

 

 

先述した通り、

これが最も違和感のないものになるので。

 

 

根拠は『特に矛盾しない』ことと

『直感的に正しそう』なだけですが、

それで満足することにします。

 

 

100\% 正しいかどうかは確認できない』ので、

「真実性」の議論はここまで。

 

 

 

というわけで話を戻すと、

まず『答え』とは「正しいかどうか分かるもの」です。

 

 

あるなんらかの「主張」があって、

それが『正しいかどうかわからない』なら、

それは「答え」ではないとします。

 

 

加えて『正しそう』あるいは『違いそう』な場合、

「真偽が確定していない」という時点で、

それもまた「答え」ではないとします。

 

 

 

例としては、

「宇宙は神様が創った」とかだと真偽不明。

「賢い人は少ない」は正しそうですが、

 

 

こういったものは「答え」ではないとします。

 

 

 

さて、この定義・解釈を見てどう思いますか?

「答えの定義」としてなにか問題があるでしょうか?

 

 

恐らくですが、特に異議は無いかと思われます。

これが最も自然で違和感の無い定義なので。

 

 

 

実際、「答えと言われるもの」は、

『全てほぼ確実にこの性質を満たします』

 

 

 

特に無いとは思いますが、

致命的な矛盾・問題があった場合は、

その都度対処するということで。

 

 

まあ、仮に例外があったとしても

意味のある例外は見つからないとは思いますが。

 

 


 

 

答えが出るようになる条件

 

『答え』は『真偽が判別可能』なわけですが、

さて、そもそもその「真偽を決めてるもの」

というのは何なんでしょう?

 

 

ここでする話はまあ要はそういう話で、

結論から先に言っておくなら、

 

 

「真偽が分かるかどうか」は、

『真偽を左右する自由変数の存在』

つまり「存在するかしないか」で判断されます。

 

 

存在するなら真偽は確定しません。

存在しないなら真偽は確定します。

 

 

 

具体的には、まず整理するために

「主張」を『論理的主張』に加工して、

『真偽を調べられる状態』にすることからスタート。

 

 

「主張全体」を『 1 文の集まり』にすることで、

その中に存在する不純物を見つける

という感じですね。

 

 

 

ここで出てくる『論理的主張』の詳細は

論証』の記事を参考にどうぞ。

 

 

ざっと説明するなら、

要は『真偽が判別できる状態』である「主張」を、

更に中身を調べられるように『前提と結論』に分けて、

 

 

その「前提」と「結論」を更に分解して

『主張の最小単位( 1 文)を取り出す』という感じ。

 

 

んで、その「 1 文」を最小単位として、

それらの『真偽が判別可能かどうか』を見ていきます。

 

 

 

当然のことを確認しておくと、

『無限の長さを持つ文』は、

「読むのに無限の時間が掛かります」

 

 

なので、それは「人には判別不可能」ですが、

『量化可能』であり、かつ『有限になる』場合は、

「判別可能」とします。

 

 

数式的には↓みたいな感じですね。

 

\begin{array}{rllll} A(x) \\ \\ P(x)&≡&\displaystyle A(1)∧A(2)∧A(3)∧\cdots \\ \\ Q(x)&≡&∀x \,A(x) \end{array}

 

\begin{array}{rlc} \displaystyle \mathrm{Count_{word}}(A(x))&=\mathrm{limited} \\ \\ \mathrm{Count_{word}}(P(x))&=ω_0 \\ \\ \mathrm{Count_{word}}(Q(x))&=\mathrm{limited}\end{array}

 

A(x) の意味は「 xA である」として、

∀x \,A(x) の意味は「全ての xA である」

\mathrm{Count_{word}}(X) は「命題 X の文字数」とします。

 

 

 

これに加えて、

『主張全体の真偽が決定される』ためには、

「主張全体の直感的な正しさ」と、

 

 

「前提」と「結論」に来る『文』が

どれも「真偽が分かる」必要があるので、

 

 

その中に『真偽を左右するもの』があると、

真偽を決定できない、という感じ。

 

 

 

まとめると、

『主張全体の正しさ』が曖昧かどうか。

 

 

「前提」「結論」の中に

『真偽を左右する自由変数』が含まれてるかどうか。

 

 

これを確認することで、

『真偽を定める』こととします。

 

 

 

 

 

真偽を左右する自由変数の存在

 

「前提・結論」を構成する『文・主張』に、

『真偽に影響を与える自由変数が含まれている』なら、

「主張全体の真偽」を確定させることはできません。

 

  

 

これが結論なわけですが、

これだけじゃよく分かんないかもしれないので

具体的にどういう感じかを書いておきます。

 

 

 

というわけで

なんか曖昧な主張を考えてみましょうか。

 

 

まあいろいろありますが、

とりあえず「自分は正しい」みたいなので考えてみます。

 

 

てなわけで考えていくと、

これは明らかに、この状態では

「正しいかどうか」がわかりませんよね。

 

 

「正しい」とされている

「自分」の中身が非常に曖昧で、

なにを指しているのかがよく分かりません。

 

 

いやまさか、

「自分の全て」なわけはないはず。

 

 

仮にそうであれば「ほぼ確実に偽」ですから、

そんなことを言うはずがありません。

 

 

となれば、

「自分は正しい」と主張する場合は、

「正しいと感じるなにか」があるはず。

 

 

 

とまあそういうわけなので、

この「何か」の中身を、

「正しさの精度」みたいな情報だ、としてみます。

 

 

なんでこうするかというと、

「自分の~」みたいな情報を定めることで

真偽を確かめることができる状態にするためです。

 

 

例えば「自分の言ってることの正しさの精度」が

100\% ・確実に」とかだと『偽』ですが、

50\% くらい」とかだと『真』になり得ますよね。

 

 

要はこんな感じで、

この場合だと「自分の何か」と、

 

 

「何か」として適当に定めた

「自分の言ってること」

そしてその「精度」を自由変数だと解釈して、

 

 

これらの中身を定めることで、

真偽を確定できるようにしています。

 

 

 

はい。

少々ややこしいですが、まあそんな感じ。

 

 

これを見てなんとなくわかると思いますが、

「正義」「善」でも似たようなことが言えてしまいます。

「自分」を「ある思想」とかにしても似た感じになりますね。

 

 

加えて他にも、

「正しい」を「間違っている」にしても似たような感じに。

 

 

 

一応やっておくと、

例えば「あの人は間違っている」みたいな主張だと、

「何が間違っているのか」とかが曖昧ですから、

 

 

その「何」の中身が

「全部が」とかだと『偽』に。

「ある一部が」みたいな話だと『真』になり得ます。

 

 

この場合だと、

自由変数は「間違っている部分」ですね。

 

 

 

とまあこんな感じで、

具体的な情報が無い状態だと、

このように真偽を判断することはできません。

 

 

しかし、自由変数に具体的な情報が入ると、

真偽が判定できるようになり得ます。

 

 

 

すごくざっくり要約するなら、

「状況が変われば答えが変わるよ」って感じですかね。

 

 

で、これを厳密に言い表すと、

「真偽を左右する自由変数を持つほど抽象的」だと、

「変数がそのままでは答えが出ない」って感じになります。

 

 

んで、真偽を判別できるようにするためには

「自由変数に値を入れる」必要があって、

そうすると「真偽を判別できるようになり得る」んですね。

 

 

 

 

 

大枠はだいたいこんな感じ。

次は基礎的な中身の話に移ります。







最小単位


|| 主張を構成する要素の最小の形

『特に制限の無い1つの主張/1文』を、

「最小単位」として定義します。

 

 

加えて「1文の定義」は

『主体とその状態(~は~だ)』とします。

 

 

そしてこれは数学の成果になりますが、

「正しさの最小単位」は、

『定義』『公理』『定理』とします。

 

 

これの詳細は数学を参照。

正しさの記事を参考にどうぞ。

 

 

 

 

 

1文を最小単位に

 

↑のようにする理由について、

ざっと話していこうと思います。

 

 

詳しくは「論証」に加えて

「証明論」の知識も必要なんですが、

この辺りの詳細はカット。

 

 

 

てなわけで感覚的な話で説明すると、

要は、人は「言語」で概念を理解する

 

 

というのが↑のように定義する理由で、

基本はそれだけ。

 

 

で、「言語」ですから、

『真偽が判別可能な最も小さな形』を考えると、

それは最終的に「1文」になるわけで。

 

 

まあそんな感じなので、

「1文」を最小単位にするんですよ。

 

 

 

 

 

1文の構造と主体・状態

 

とはいえ「1文」とだけ言われても

なんかよく分かりませんよね。

 

 

例えば日本語なら、

「俺は神だ」「あいつは最高だ」「人間は最高だ」

「男はクソだ」「女はクソだ」「人間はクソだ」

 

 

みたいなものを

『1文』として定義できるわけですが、

 

 

「俺は神だが神は俺じゃない」

「人間は愚かだが賢くもある」

みたいなのも「1文」と定義できそうです。

 

 

 

ただどうでしょう?

ちょっと引っかかる部分がありませんか?

 

 

というのも、

例えば「人間は愚かで賢い」みたいな文は、

なんというか、ちょっと「長い」ですよね。

 

 

いやなんというか、

これも確かに「1文」ではあるんですが、

これは「もっと分解できそう」な気がします。

 

\begin{array}{llc} \displaystyle S+V \\ \\ S+V_1〇V_2 \\ \\ S+V_1〇S+V_2 \end{array}

 

記号で見ると、こんな感じに。

 

 

 

先に結論を言っておくと、

実はこういう「文」も最小単位にできはします。

 

 

ただ『もっと分解できる』こともまた事実で、

しかし、それでも最小単位として見ることに。

 

 

とまあそんな感じで、

この辺り、ちょっと面倒です。

 

 

というのも、

「人間は愚かで賢い」みたいな1文は、

「人間は愚か かつ 人間は賢い」みたいに、

 

 

『主体+状態』にまで分解できます。

 

 

つまり「人間は愚かで賢い」は、

「1文+間のなんか+1文」で作られていて、

「もっと小さな1文」に、確かに分解できるんです。

 

 

まあですから、

「1文の定義」として考えるのは、

この時点ではなんか不適切な気がします。

 

 

 

しかしこれ、

実は「1文として定義しないといけない」んですよ。

 

 

というのも、

「かつ・または・ならば」みたいな

「間にあるなんか」は、

 

 

「主体と状態だけ」では表現できません。

 

 

なので「間にあるなにか」がある場合、

『主体+状態』の「文」とは別に考える必要があって、

この「連なり」を「1文」と捉える必要があります。

 

 

はい、まあそういう感じで、

これもまた最小単位として考えるんですね。

 

 

 

とはいえ「1文の構造」の基本は、

あくまで「主体+状態」とする方が自然なのも事実。

 

 

というのも、

「かつ・または」などの「間に来るもの」を、

例えば+のような『演算子』として考えれば、

 

\begin{array}{rlc} \displaystyle S_\mathrm{and}&≡S_1\,\mathrm{and}\,S_2 \\ \\ S_{\mathrm{or}}&≡S_1\,\mathrm{or}\,S_2 \end{array}

 

このように書けるわけで、

 

 

つまり「1文の最小の形」を考えると、

やはりどうしても「主体+状態」が来るんです。

 

 

まあですから、

「最小の形」は『主体+その状態』として、

 

 

組み合わせの特例として、

『1文(演算子を含む)』を考えます。

 

 

 

 

 

言語での違い

 

表現を統一したいよね、

って感じの話をしていきます。

 

 

ただまあ、そんなに詳しくはしません。

突っ込んでやるとけっこう長くなるので。

 

 

詳細は証明論とか述語論理とか、

それこそ論証とかを勉強してみてください。

 

 

 

ともかく話を戻すと、

要は「言語のルール」の話がしたい感じで、

 

 

例えば日本語だと

「かつ・または」みたいな単語があるわけですが、

これの表現方法は他にもありますよね?

 

 

例えば「かつ」なら、

「で」とか「であり」とか、

全部書くのが大変なくらいにはたくさんあります。

 

 

ただこれ、「どれも同じ意味」です。

どれに入れ替えても「意味」は成立しますし、

文法上は、特に問題は生じません。

 

 

多種多様な表現が存在するのは

『音の自然さ』を賄うため。

 

 

だからこそ、

その辺りを考える上では必要不可欠ですが、

 

 

しかし「意味だけを考える」なら一つで十分。

 

\begin{array}{clc} \displaystyle A であり B \\ \\ AかつB \\ \\ AだしB \end{array}

 

『文の抽象的な構造』を考える時、

これらは統一的に表現してしまいたいです。

 

 

 

これは他言語の場合もそうで、

例えば「英語」では「かつ」を「 \mathrm{and} 」と書きますが、

 

\begin{array}{clc} \displaystyle AかつB \\ \\ A\,\mathrm{and}\,B \end{array}

 

これも「意味は同じ」なので、

統一的に表現してしまいたいです。

 

A∧B

 

具体的にはこんな感じに。

 

 

 

言語によって「文法」が違うのは当然。

「単語」も違えば「読み」も違って、

それぞれに歴史や特色があります。

 

 

そして『文/主張』は、

その言語ごとに存在するルールによって構成されます。

 

 

 

これらを全て考慮するのは大変ですが、

その言語を自然に扱いたいのであれば、

それらをきちんと考慮することは必要です。

 

 

しかし『意味だけ』を考慮して単純化したいなら、

 

\begin{array}{llll} S&=A \\ \\ S_{\mathrm{not}}&=¬A \\ \\ \\ S_{\mathrm{and}}&=\displaystyle A∧B \\ \\ S_{\mathrm{or}} &=A∨B \\ \\ S_{\mathrm{if-then}}&= A→B \\ \\ \\ S_{\mathrm{exist}}&=∃x \, x∈A\\ \\ S_{\mathrm{all}} &=∀x \,x∈A \end{array}

 

『同じ意味を持つもの』として、

このようにひとまとめにして特に問題はありません。

 

 

 

これは要は、

「言語による違いを無くす」処理ですね。

 

 

「文・主張」の構造は、

このような形に単純化することができます。

 

 

加えて、特に↑のやつは、

基本的な「真偽が判別可能なもの」で、

証明論の基礎的な部分になります。

 

 

 

 

 

主張・文の構造

 

長くて複雑な説明/主張も、

小分けすれば「1文の集まり」になることは明らか。

 

 

加えて、

「概念」は『言語で説明することが可能』です。

 

 

以上のことから、

あらゆる「主張・文」は、

『1文の集まり』に分解することが可能で、

 

 

だからこそ、

あらゆる「主張の最小単位」を

『1文だと定義する』のが妥当だと言えます。

 

 

 

 

 

以上、

「1文を最小単位とする理由」はこんな感じですね。

 

 

『概念と言語の関連』と

『言語の構造』によって、

この最小単位は自然と導かれます。

 

 

 

 

 

真偽が分かる文と分からない文

 

『抽象的過ぎる概念を扱いたい』ので、

「正しいと分かるものだけ」じゃなく、

「正しいかどうか分からないもの」も扱いたい。

 

 

本題を考えるとこれは当然の要求ですよね。

 

 

でもまあその話をする前に、

なんかあれこれとっ散らかってるので

ちょっといろいろ整理してみます。

 

 

 

というわけでまず

『1文/主張』の定義ですが、

 

 

これは『主体+その状態』

または『1文+命題記号+1文』とし、

 

 

加えて『主体+状態』となる「最小の形」でも、

『常に真偽が確定するわけではない』とします。

 

 

まあ要は、

「主張として理解できる」こと以外には

特に制限を設けないことにします。

 

 

数学的な感覚だと、

『完全性を保証しない』状態にして、

『文の存在』のみを認める感じですね。

 

 

 

 

 

ざっとしたまとめ

 

これだけだと、なんか分かりにくい気がするので、

もっともっとざっくりまとめてみましょうか。

 

 

同じことの繰り返しになりますが、

 

 

まず「文」に対しては

『主張として理解できる』

ということ以外の制限をしないことにします。

 

 

加えて最小単位を『1文/主張』と定義して、

『1文の真偽』は確認するまで分からない

ということにもします。

 

 

 

実現したいのは、

その中に「正しいと分かるものがある」こと。

そして「正しいか分からないものもある」こと。

 

 

この2つで、↑のようにすると、

これを特に問題なく実現できます。

 

 

 

ただまあこれだけじゃ

『2つを見分ける基準』が無いので、

それも欲しいですよね?

 

 

てなわけでそれを考えてみた結果、

 

 

「正しいかどうか分かる文」は、

『真偽を左右する自由変数をその時点では確認できない』

とすると都合が良いので、こうすることに。

 

 

 

繰り返しておくと、

『その時点では確認できない』ってことにします。

 

 

「持っていない」とはしません。

 

 

というのも、

『全て確認することはできない』ので、

「持っていないかどうかは分からない」んですよ。

 

 

まあですから、

『その時点で1つも無いと確認できる』にしないと、

無限に探し続けることになっちゃいます。

 

 

まあ要はあれです。

『真偽を左右する自由変数』については、

『持っている可能性がある』ことは否定できないので、

 

 

仮に「真偽を左右する自由変数を持たない」にする場合、

全ての主張は「持たないとは言い切れない」ので、

見分けることができなくなっちゃいます。

 

 

なので、自由変数を「持たない」ではなく、

『その時点では確認できない』ってことにします。

 

 

 

 

 

はい。

とまあこんな感じでざっとまとめてみましたが、

まだわりとぐちゃぐちゃしてますね。

  

 

・真偽が分かるものと分からないものを両立したい

 

『1文が最小単位』

『1文は主体+状態』

『命題記号で連結したやつも1文』

 

 

・見分ける手段が欲しい

 

『1文の真偽は自由変数の有無で分かる』

『自由変数がその時点で確認できないなら真偽は確定』

『真偽が確定しない文の存在を認める』

 

 

というわけでもっと短くしてみましたが、

こんなんでどうでしょうか。

 

 

 

 

 

真偽を左右する自由変数の見つけ方

 

続いて、ちょっとぼんやりしちゃってる、

『真偽を左右する自由変数の存在』を

『発見する方法』について、説明しておきます。

 

 

これはあれですね。

一言で言うと『省略される前提』の話で、

 

 

その「前提を探す」ことで、

『自由変数』を見つける、って感じです。

 

 

 

どういうことかというと、

『何かを正しいと言いたい』場合、

『こうだからこう』みたいに言うじゃないですか。

 

 

例えば

「俺は正しい」とか、

「お前は悪いやつだ」とかは、

 

 

「俺は正しいことを言ってるから」とか、

「お前は悪いことしたから」とか、

 

 

後ろにこういう感じの前提があって

その主張に至るわけで。

 

 

まあつまり「主張」には『前提』があって、

それはだいたい「省略」されてるんです。

 

 

 

例えば「人間の視点では」とか、

「この宇宙では」とか「地球上では」とか、

こういう前提はだいたい省略されますよね。

 

 

でまあこれで分かると思うんですが、

こういう『省略された前提』の中に、

「真偽を左右する自由変数」が含まれてたりします。

 

 

 

 

 

後付けで正しいことにされる前提

 

「省略される前提」は、

基本的には『後付け』になります。

 

 

どういうことかというと、

『全ての前提を話す』のは非現実的ですよね?

 

 

なにか発言・主張する時、

『単語の内容や意味』を

『全て説明する』なんて、

 

 

そんなことしませんし、

する時間も意味もまあ無いです。

 

 

で、これで分かると思うんですが、

「明らかなこと」は省略されて当然なんですよ。

 

 

加えて、それらは『後付け』されるんです。

 

 

これは順番を考えればわかります。

というのも、順番は↓ですよね?

 

 

発言者が主張する → 質問される → 情報を補足する

主張される → 自分なりに理解する → 納得する

 

 

全部話すことなんてありませんし、

明らかな部分は疑問に思いません。

 

 

説明不足は「後で」補足しますし、

分からない部分は「後で」聞きます。

 

 

 

はい。

とまあこのように、

『前提』は『後付け』されるんです。

 

 

 

 

 

後付けされる前提の正しさ

 

『前提は後付けされる』わけですが、

その『前提の全て』は「正しいとは限りません」。

 

 

実際、「明らかではないこと」もまた

省略されることはあります。

 

 

で、結論から言うなら、

この「明らかではない前提」が

『真偽を左右する可能性がある』んですよ。

 

 

でまあ、だいたい察しは付くと思いますが、

これが『真偽を左右する自由変数』の正体になります。

 

 

 

と言っても、

これだけじゃよくわかんないかもしれないので、

具体的な話をしてみましょうか。

 

 

なんか、よくある事例を考えてみます。

 

 

てなわけで、例えば

「なんらかの思想を正当化する」時、

とかを考えてみましょうか。

 

 

この場合はだいたい、

『自分たちは正論を言っている』から、

『自分たちは正しい』みたいになるんですけど、

 

 

『自分たちは正論を言っている』から

『自分たちは正しい』って、いや

 

 

よく考えてみると

かなり意味分かんないですよね。

なんで正論を言うだけで正しくなるんでしょうか?

 

 

 

正論を言うだけで正しくなるなら、

大義名分を盾に行使されるあらゆる行為は

正しいということになってしまいます。

 

 

例えば「魔女狩り」とかが良い例でしょうか。

暴力行為は正当化され、実行される。

人類の歴史ではあるあるですが、

 

 

これは「正論を言ってるから正しい」みたいな、

そういう理屈で自分たちを正当化して、

人を〇すことを正しい、としていますよね。

 

 

当時は「〇す」という表現ではなく、

「退治」とか「浄化」とか、

なんかそれっぽい言い方をして、

 

 

「正論っぽいこと」を言って、

さも「自分たちは正しいかのように」正当化し、

正義を振り翳して人〇しが OK に。

 

 

いや、まあ、うん。

「現代の価値観では」狂ってるとしか思えませんが、

しかし当時、これは「正義」でした。

 

 

いやでも、えと、

これって「正しい」んですか?

 

 

まあ「正論は言ってる」わけですが、

いやいや、正しい?

 

 

 

最近の話だと

「フェミニストの男性への悪口」とか、

「配慮を盾にした規制」とか、

 

 

なんかそういうのよく見かけますが、

いや、これどうなんですかね?

ほんとに正しいんですか?

 

 

こういうことやってるやつらと

魔女狩りやってるやつらって、

似たようなことしてませんか?

 

 

 

はい。とまあそういう感じで、

明らかにおかしいんですよ。

 

 

『正論言ってれば正しい』ってのは。

 

 

魔女狩り、ツイフェミ、正義マンなどなど、

みんな、自然に考えて頭おかしいです。

やってること、明らかに正しくありません。

 

 

寧ろ、なんで正しいなんて勘違いをしてるのか。

 

 

いやまあ、

答えは単に『自分を正当化したい』から、

なんですが、これはさておいて。

 

 

ともかく、この事例のように

「実は間違ってる前提」ってのもあって、

それが「後で分かる」ってことはあるんです。

 

 

「確証バイアス」なんて言い方もされるやつですね。

『変な前提』が「正しいとされる」ことは、

実はかなりの頻度で身近に起きてます。

 

 

 

念のため、

もっとシンプルな理屈で説明しておきましょうか。

 

 

というわけで確認すると、

当たり前ですが「悪人でも正論は言います」よね?

 

 

なので、正論を言ってる人は正しい人

というのは事実に反します。

明らかに正しくありません。

 

 

まあつまり、

『正論を言ってる人は正しい人』という前提は、

事実に反しているんですよ。

 

 

これが「正しい人が多い」とかなら良いんですけど、

「全員正しい」は事実に反するので間違い。

 

 

特に↑の例なら魔女狩りを実行した連中とか、

悪口言う連中とか、配慮しろとか言う連中とか、

こいつらは軒並み悪人枠ですね。

 

 

 

とまあこのように、

『実は間違っている前提』ってのもあって、

 

 

これを正しいとすることで、

「正しいことになっている」ものは多くあります。

 

 

そしてこういうのは、

確認するまでは分かりません。

 

 

実際、常識や普通の中には、

こういう『前提が変』なのは多くあって、

 

 

そういう「変な前提」が

「多くの人に正しいと思われている」ことはざら。

決して珍しい話ではありません。

 

 

 

総括、『省略される前提』の中には、

『間違ってるものもある』ので、

『正しさは前提を整備するまで確定しません』

 

 

んで、この事実を考えると、

『省略された前提を確認していく』ことで、

 

 

『真偽を左右する自由変数』を、

「後で」発見できることが分かります。

 

 

 

 

 

正しさの順序

 

『前提が全て整備された状態』は非現実的で、

『正しいとされているもの』が、

『間違っている可能性』は否定できません。

 

 

なので「正しいと確定する順番」を考えると、

『主張』→『確認』→『真偽の確定』になって、

 

 

後に『確認』→『真偽の確定』

の手順も考えられます。

 

 

これで分かると思いますが、

『正しいと分かる』のは、

『自由変数の有無を確認した後』

 

 

それまでは『正しいかもしれない』ものであり、

「正しい」ものである保証はありません。

 

 

 

 

 

存在する可能性がある

 

『前提』は『後から確認される』わけですが、

「全て」確認することは基本的にはできません。

 

 

なので『自由変数が存在する可能性』は、

常に否定できるわけではありません。

 

 

 

どういうことかというと、

これは実際にやってみると分かりやすくて、

 

 

例えば「日本語で書く」なら、

厳密には日本語の説明は必要ですよね?

 

 

加えて、日本語の単語の意味も必要。

それを説明する文言の役割を確認することも必要。

内容の厳密さの保証も必要、などなど、

 

 

前提を「全て確認する」というのは

要はこういうことなので、超絶大変です。

というか、全部はほぼ無理ですね。

 

 

 

まあそういうわけなので、

基本的に「ある程度」しか確認することはできません。

 

 

より具体的には、

『その状況で許される限界まで』しか確認できず、

基本的に、その数は「少ない有限」です。

 

 

多くても10とか、そのくらいでしょう。

「明らかな前提」が多い状況であれば1つ2つくらいで、

基本的には0です。

 

 

 

とまあそんな感じで、

結局、『全て』確認することはできません。

 

 

『不足している情報を補う』ことは

『後から可能』ですが、

 

 

だからこそ、

『未だに定義されてない部分の存在』もまた明らか。

 

 

そして、

その「全て」を定義できるかと言われると、

それは非現実的です。

 

 

実際、ある程度分かればそれで充分ですし、

生存を重視するだけであれば、

厳密に定める必要は皆無。

 

 

ということは、

『全て定める』必要は実はなくて、

 

 

真偽というのは、

『その時に矛盾が無ければ定まる』ってことになります。

 

 

理由は単純に、

『全て確認する』のは『非現実的』だから。

 

 

 

 

 

以上ですが、

この『後で決まる』という事実は、

実はちょっと数学的によろしくありません。

 

 

というのも、用語で言うと、

「実効性の無い完全性」の話になってるので、

 

 

数学的には、これをどうにか解消する必要が。

 

 

なんのことかよく分からんと思うので、

次はそれについて話をしていきます。

 

 

 

 

 

完全定義不可能原理

 

人間なんかの『有限の視点』では、

『情報の数を限定して判断する』ことにする

 

 

という、事実から分かる真偽判定の順序を、

原理として宣言しておきます。

 

 

 

柔く言うなら、

『その時あるものだけで判断する』って感じで、

 

 

つまり「全ての情報を扱う必要はない」とします。

まあできるに越したことは無いんですが、

 

 

現実問題として、

『全ての情報を扱う』ことは非現実的です。

 

 

あらゆる主張の『前提』は省略され、

特に「明らかな前提」は言う必要がないとされます。

 

 

 

はい。まあともかくこんな感じですから、

『真偽が確定する順序を定めるため』に、

これをルールとして宣言しておきます。

 

 

『主張』→『前提の確認』

    →『情報の限定』→『真偽確定』

 

 

具体的にはこんな感じですね。

 

 

『正しいもの』を

『その時点では正しいもの』として、

より厳密に正しさを扱えるようにします。

 

 

 

 

 

定義されていない部分の存在

 

↑のやつを定式化するにはどうするべきか。

いろいろあるでしょうけど、

 

 

『有限回だけ定義可能である』こと

『定義されていない部分が存在する』こと

 

 

この2つが実現できれば、

それで良さそうじゃありませんか?

 

 

 

まあこれは一言で言えば

『未定義部分は必ず存在する』

ってことなんですけど、

 

 

この2つを正しいとすれば、

「定義されていない部分」が保証されるので、

 

 

『全ての前提を定めることはできない』

という事実もまた実現できます。

 

 

 

結論としてはこんな感じなんですけど、

『全ての前提を確認することは非現実的だ』

 

 

という事実を表現する方法は、

探せばたぶん他にもあります。

 

 

『対象のパラメーターを全て定義できない』は

あくまで形式的に表現するための言い回し。

 

 

他により適したものがあるならそれでいいんですが、

現状、これが最も良い感じなのでこれを採用します。

 

 

 

念のため、

ついでに「形式的ではない」言い回しも

参考程度に考えておきましょうか。

 

 

てなわけで考えていくと、

『全ての前提を定義するのは非現実的』ってのは、

要は「全」を否定する言い回しですから、

 

 

「全部は分かんない」

「細か過ぎる部分までは把握できない」

「分からない部分はある」

 

 

言い換えると、こんな感じになりますね。

 

 

見ての通り、言い方はいろいろあって、

どれを採用しても特に問題はありません。

 

 

 

 

 

完全に定義できる可能性

 

↑の話、ちょっと突っ込みどころありますよね。

というのも『未定義部分の多さ』に関しては、

特に何の言及もされていません。

 

 

『定義されていない部分が存在する』のは事実。

しかし『無限に存在する』かは、

この時点では保証されていません。

 

 

 

まあつまり、もしかしたら

「全部定義できるかもしれない」わけで、

 

 

『有限の回数しか定義できない』

『定義されていない部分が存在する』

 

 

この2つだけだと、

その可能性を否定できないんですよ。

 

 

 

まあつまり、

↑だけだと不十分。

 

 

『完全に定義できる可能性』を否定できない以上、

『未定義部分が存在する』が矛盾してしまう

という可能性を排除できません。

 

 

ですから、

「未定義部分の存在」を保証するために、

なんらかの事実を宣言しておく必要があります。

 

 

 

 

 

未定義部分の生成規則

 

はい。というわけで、

ここで『未定義部分の生成規則』を考えることで、

未定義部分の存在を保証してみます。

 

 

使うのは『哲学』ですね。

「真理」とかの「形而上学」的なやつを使います。

 

 

もうちょい柔く言うなら、

『疑問は尽きない』とか、

『何かが確定しても新たに疑問ができる』とか、

 

 

まあそういう話をする感じです。

 

 

具体的には「無制限の状況」を考えて、

その中では『無数に考えられる』

という事実を利用します。

 

 

 

まあ要は「ルールの後付け」ですね。

これを認めることで『限りが無い』ことを実現します。

 

 

 

抽象的な話だけだとあれなので、

具体的な話をしてみましょうか。

 

 

というわけで、

なんか適当に正しそうな主張を考えてみます。

 

 

「科学は正しい」

これで見てみましょうか。

 

 

結論を先に言っておくなら、

「科学」とか「正しさ」とか、

その辺りの厳密な話を理解してるなら、

 

 

この主張が正しくないことは分かると思います。

 

 

ただ、ほとんどの人はこれを正しいと感じるはずです。

というか、数学と科学をちゃんと学んでる人間以外で、

これを正しくないと断定できる人はいません。

 

 

まあともかく「科学は正しい」ですけど、

これ、『正しい』と感じますよね。

 

 

「科学的に正しい」って言われたら、

ほとんどの人は特に疑問を感じないと思います。

 

 

はい。

これが「自明の前提を省く」感覚です。

 

 

人は無意識に何かを正しいと感じていて、

それを「正しいと仮定する」ことで、

主張の真偽を判定しています。

 

 

 

結論を言うと、

『未定義部分の生成規則』は、

この事実を形式化したものです。

 

 

最終的に『正しさの基礎になっている部分』

というのをどこかで見つけて、

 

 

更にそれを「疑う」ことで、

『正しさの基礎を新たに生成』します。

 

 

 

具体的な感じだと、

「科学は正しい」とかが最下層の前提とするなら、

 

 

通常、これ以上の前提は

「この時点では」存在しません。

 

 

しかし『最下層の前提を疑う』場合

 

 

つまり「科学は正しい」という前提を疑う場合、

「なぜ科学は正しいのか」

を説明する前提が必要になって、

 

 

それは『事実に基づいて定義されます』

 

 

で、この手順を経た後、

『最下層の前提は1つ上位の前提』になり、

『最下層の前提ではなくなります』

 

 

『未定義部分の生成規則』とは、

要はこういう感覚の話ですね。

 

 

 

というわけで形式的な話に移ると、

まず『可能な限り前提を記述する』

ってことが必要だということが分かります。

 

 

これは『無条件で正しいとされてる仮定』を

『見つけ出すための手順』ですね。

 

 

この手順を経て、

まず『前提無しで正しい主張』を見つけます。

 

 

んで次、

ここで見つかった『前提無しで正しい主張』を、

疑う、もとい『なぜ正しいのか』を考えます。

 

 

すると、

例えば「~だから」「科学は正しい」となって、

今度はこの「~」が『前提無しで正しい主張』に。

 

 

でこうなると、

自動的に「科学は正しい」は、

『前提無しで正しい主張』ではなくなりますよね。

 

 

「~だから」っていう前提が正しいから、

「科学は正しい」となるので。

 

 

で、これが重要なんですけど、

 

 

こうなると、

「また同じ操作」ができてしまいますよね?

 

 

具体的には、

新たな『前提無しで正しい主張』が生成されてるので、

またそれを疑うことができます。

 

 

 

まとめると、

『前提無しで正しい主張を発見する』ために、

まず『前提を可能な限り記述します』

 

 

次に『前提無しで正しい主張』が

『なぜ正しいのか』を考えてみて、

「なんらかの根拠」を見つけます。

 

 

するとその「なんらかの根拠」が、

『前提無しで正しい主張』の

「新たな前提」になるので、

 

 

これが次の『前提無しの正しい主張』に。

 

 

となると、

この操作なんですけど、

『必ず前提無しの主張が残る』ので、

 

 

『また同じ操作を行うことが可能』ですよね。

 

 

はい。つまりこの操作は

「無限に行う」ことができてしまうんですよ。

 

 

 

短くまとめるなら、

『前提無しの主張を疑う』だけで、

『新たな前提は生成される』ので、

 

 

『前提は無数に生成できる』と、

まあそういうわけです。

 

 

これが、

『未定義部分の生成規則』になります。

 

 

 

 

 

『完全定義不可能原理』っていうのは、

要はこの「事実」の宣言です。

 

 

『未定義部分の存在』と

『未定義部分の生成規則』から成るので、

 

 

なんかそれっぽく、

「完全定義不可能原理」って言ってるだけ。

 

 

分かり難ければ、

『人間の有限性』の話と思っておけば、

まあだいたい合ってます。







分類


|| 人間は、概念を分かる部分だけで理解する

『人間が概念を理解する方法』なんですけど、

これがだいたい2つあるよ、って話をしていきます。

 

 

具体的には、

「入れ物に1個ずつ入れる」やり方と、

「分かる部分とそれ以外で分ける」やり方があって、

 

 

『人はそれを意識せずに使う』ことで、

「概念を理解」していて、

 

 

その事実から、

『概念の構造』を導いていきます。

 

 

 

なんのこっちゃよく分からんと思いますが、

要は『定義のやり方』の話ですね。

 

 

特に「内包」型の場合、

人間は「全ての情報を得ることができない」のに、

無限に情報を追加できる、って状態になるので、

 

 

この点で、よく勘違いが発生してしまいます。

これはまあ言ってしまえば、

その話を詳しくする感じですね。

 

 

 

『人が概念を理解する手順』

『概念の中身を全て見ているわけではない』こと

 

 

これらの事実を元に、

概念の構造を明らかにして、

勘違いしがちな部分を整理していきます。

   

 

 

 

 

概念と五感情報

 

まず『概念』について整理するために、

「具体的な概念」の話をしておきます。

 

 

とりあえず「水」で考えてみますか。

 

 

さて、この「水」という概念ですが、

これを「理解する」時、

皆さんはなにをしていますか?

 

 

まあいきなりなにしてる? って言われても

という感じかもしれませんが、

 

 

ちょっと考えてみると、

「水」という単語を聞いた時、

『いくつかの五感情報』が浮かんできませんか?

 

 

例えば「透明」「手触り」「味」

あるいはぽちゃんとした「水音」など、

 

 

そういうものを「頭で思い浮かべる」

ってことを、皆さんはしていませんか?

 

 

 

はい。

まあ要はこういう話でして、

 

 

人は『概念』を

「認識しやすい五感情報に変換する」ことで

それがそうであると理解してるんですよ。

 

 

「言語化」も、

『音声化』『視覚化』処理と捉えれば、

この例に漏れることはありません。

 

 

 

まとめると、

「概念の理解」というのは、

『五感情報の集まりを認識する』こと。

 

 

つまり『概念』の構造とは、

『五感情報の組み合わせ』

 

 

あるいは数学的には、

『五感情報の集合』と考えることができます。

 

 

 

感覚的には、

『分かりやすく説明できる』と、

そう言い換えてもいいかもしれません。

 

 

ともかくこのように、

人は「いくつかの情報を参照する」ことで、

『概念』というものを理解します。

 

 

その事実を踏まえて概念の構造を考えると、

「情報の集まり」として定義すれば、

なんか良い感じに説明できるわけですね。

 

 

 

 

 

抽象的な概念

 

「非常に抽象的な概念」は、

「具体的な概念」とは異なる性質を持ちます。

 

 

結論から言っておくと、

非常に抽象的な概念を解釈する時は、

 

 

「理解するための情報の数」と、

「概念を構成する情報の数」が

酷く乖離する、という現象が起きて、

 

 

その結果として、

『実際の概念と意識の概念が食い違う』

ということが起こります。

 

 

 

どういうことかというと、

「意識」に上っている情報の数は

多くても 10 がせいぜい。

 

 

しかし『非常に抽象的な概念』は、

実際には「ほぼ無限に情報を含む」ので、

 

 

結果的に、

意味の乖離が起きる、って話です。

 

 

これは「善」「悪」「正義」「愛」

とかを見ればわかると思います。

 

 

というのも、

この概念を構成する情報は無数に存在しますが、

 

 

その「概念を構成する情報」の中身は、

「人によって異なります」よね?

 

 

まあつまり見た目のイメージとしては、

『実際の概念』が「巨大な湖」だとしたら、

『個人の概念』は「湖から汲んだ水」という感じで、

 

 

それはもう実際のものとは別だし、

人によって異なっていて当然なわけです。

 

 

そしてだからこそ、その結果として、

『人によって意味が異なる』って現象が起きます。

 

 

 

はい。とまあこんな感じなんで、

「非常に抽象的な概念」は、

『意味の錯誤を誘発』します。

 

 

で、これ見てなんとなく分かると思うんですけど、

これが、本題に繋がるんです。

 

 

どういうことかというと、

『答えの出ない問題』というのは、

実は、こういう概念を含んでいるから、

 

 

「答えが出ない状態になってる」

とも言えるんですよ。

 

 

 

初心に帰ると、

この記事の話は要はこういうことが言いたいわけで、

自由変数とかはそれを説明する道具に過ぎません。

 

 

ともかく、

この振る舞いに着目してみると、

 

 

『非常に抽象的な概念』は、

自由変数とほとんど同じ、と言えますよね。

 

 

『なんでも入れて良い枠』と

『無限に情報を含む集合』ですし、

比較してもやはり似通っています。

 

 

違いは「具体性」くらいでしょうか。

それ以外はだいたい一致していて、

 

 

『抽象的な概念』を、

『少し具体的な自由変数』

と定義できそうな気がします。

 

 

 

まとめると、

『非常に抽象的な概念』は、

『真偽を左右する自由変数』にすごく似ていて、

 

 

これが主張の中に存在する場合、

「答えが出ない状態になっています」

 

 

なので、

『概念を構成する情報』に、

「何が入ってもおかしくないほど抽象的」なら、

 

 

その抽象概念は、

『自由変数のように振る舞う』と言えて、

 

 

だからこそ、

『非常に抽象的な概念』は、

『少し具体的な自由変数』と定義できます。

 

 

 

 

 

例外排除の考え方

 

『概念の中身を決める方法』について、

具体的にどうすればいいのかを話していきます。

 

 

結論は↑に書いてる通りで、

「それ以外を排除する」みたいな操作を使うと、

概念は『矛盾なく定義』できます。

 

 

 

どういうことか説明していくと、

要は「概念の構造をどう作るか」みたいな

 

 

「作り方」を考えると、

「概念」→「中身を絞り込む」→「理解」

という手順が見えてくるので、

 

 

『例外を排除していく』というのが、

概念を定義する上で最も都合が良い

となるわけです。

 

 

 

というのも例えば、

皆さんは「赤い」「丸い」「酸っぱい」だと、

だいたいなにを指すか絞り込めますよね?

 

 

まあ要はこういう感じで、

人は無意識にこういう『基準』を作って、

それを軸に「概念」を構成してるんです。

 

 

「~という条件を満たすからこうだ」

というような具合に。

 

 

 

んで、このやり方は「それ以外を見ない」

つまり『例外を排除していく』操作ですから、

「例外排除」という言葉を使っているわけですね。

 

 

 

 

 

前提と条件

 

ある事実は、ある前提の下でのみ成立します。

なので『ある概念はこういうものだ』と主張する時、

 

 

つまり『概念の説明』を行う時、

『前提』は「条件」の役割を果たすことになります。

 

 

 

どういうことかというと、

要は「説明」はそのまま「条件の集まり」で、

概念はそれにより構成される、という話です。

 

 

具体的には、

例えば「~はきつね色だ」「~は柔らかいものだ」

「~は美味しいものだ」「~はサクサクだ」

 

 

みたいな主張の連なりは、

「~かつ~かつ~・・・」のように連結すると、

「とんかつ」だとほぼ特定できますよね。

 

 

でこの場合、

「とんかつだ」という主張を解釈する時、

 

 

「とんかつ」という概念が不明な場合、

 

 

その主張の前提には、

そのまま↑の省略された「説明」が必要になります。

 

 

 

はい。まあこういう感じで、

実は『概念の詳細・説明』というのは、

「省略される前提」と同じものになるんですよ。

 

 

なのでここからは、

「概念を構成する条件」と「前提」は

同じものだとみなして話を進めていきます。

 

 

 

 

 

排反と例外排除

 

↑の「例外を排除する操作」

というのを実現する方法について見ていきます。

 

 

結論から言っておくなら、

使うのは「排反」です。

 

 

 

『排反』ってのは、

要は「それと、それ以外」って感じのやつで、

『中身を限定する』ときとかによく使われます。

 

 

具体的な操作としては、

基本的には「条件」を定める感じですね。

 

 

んで、それを使って、

「条件に当てはまるもの」と

「それ以外」で分割します。

 

 

まあ分割と言うより、

イメージとしては外側に放り出す感じですね。

 

 

条件に合うものだけに着目して、

それ以外には目を向けません。

 

 

加えて、

『後から』外側を見て、

「中身を増やす」こともできます。

 

 

 

と言われてもよく分かんないと思うので、

具体例で見てみましょうか。

 

 

そのために、

例えば「愛」という概念ならどうなるか。

適当に考えてみます。

 

 

というわけで考えていくと、

例えば「その人のための行為」とかを

「愛を定める条件」だとすれば、

 

 

当然、

自動的に「それ以外」もまた定義されますよね。

 

 

具体的には、

例えば「子供のためになにかする」とか、

他にも「親孝行する」とかは「愛の中身」ですが、

 

 

「悪口を言う」とか「無視する」とかは

「愛の中身」にはまず含まれません。

 

 

 

加えて、

『非常に抽象的な概念』

の場合で多く見られるものとして、

 

 

「人によって異なるもの」っていうのもあって、

例えば「束縛する」とか「監視する」とかは

中身に含まれたり含まれなかったりします。

 

 

 

はい。とまあ要はこんな感じで、

「なにかを定めたい」時、

 

 

『条件』を定めると、

排反は自動的に定義されるんですね。

 

 

 

 

 

排反条件と自由変数の中身

 

「例外を排除する」ことができれば、

『概念の中身』は「明確に」なっていきます。

 

 

すると当然、

その中身になる「よく分からないもの」は

どこまでも減っていくわけで、

 

 

結果として、

『その時点では例外が見つからない概念』

が形成されることになります。

 

 

 

となれば当然、

その「正しさは判別が可能」なので、

 

 

「その概念が組み込まれた主張」もまた、

「正しさが判別可能」な状態に近付いています。

 

 

そう、「排反条件を定める」と、

『正しさが判別可能な状態に近づく』んですよ。

 

 

 

とまあ、要はそんな感じで、

この『排反条件』っていうのは

「定めるほど概念を明確にしていく」んです。

 

 

となると「主張もまた明確にできる」ので、

これは『自由変数の中身になる』と言えます。

 

 

 

 

 

非束縛抽象概念は意味が変わる

 

|| 自由変数の数が多過ぎるパターン

これは『意味を限定する』ことで起きる

『意味の変化』についての話です。

 

 

中身としては、

『範囲の広さ』が起こす錯誤

と言った感じの話で、

 

 

あまりにも抽象的で『範囲が広すぎる』と、

『条件の定め方』に「違い」が出ることがある。

 

 

その結果、

人によって意味が変わることがある。

 

 

とまあそんなことが起きるよね、と。

まあそういうことが言いたい感じ。

 

 

 

とは言っても、

これだけ言われてもって話だと思うので

具体的な話をしてみましょうか。

 

 

というわけで、

「もの」みたいな抽象的な単語を考えてみます。

 

 

でさっそく「もの」なんですけど、どうですか?

皆さんは「もの」と言われて、

なにを思い浮かべますか?

 

 

まあ概ね「目の前にあるやつ」とか、

「触れるやつ」「存在してるやつ」とか、

なんかそんな感じの説明をすると思いますが。

 

 

でもどうでしょう?

なんか、どれも『意味が狭い』気がしませんか?

 

 

言い換えるなら、

「説明が不十分」な気がしませんか?

 

 

「触れるやつ」とかだと、

全てのもの」を表現できませんし。

 

 

 

整理してみます。

 

 

というわけで「もの」なんですけど、

ほとんどの人は「目の前にある何か」を見て、

それが「もの」であると思うわけですが、

 

 

しかし本来「もの」というのは、

『それに限定されていない』

もっと広い意味の概念です。

 

 

ですが、人はそれを説明する時、

「無意識に狭い範囲に限定」して、

それを「もの」だと主張します。

 

 

 

そう、人は『抽象的過ぎる概念』を解釈する時、

無意識に「理解しやすい狭い範囲」を切り取って、

それをそうだと言ってるんです。

 

 

例えば「もの」なら、

『そのままだと分かり難い』ので、

 

 

「触れるもの」に限定して理解する

という具合に。

 

 

 

 

 

はい。とまあこのように、

抽象的過ぎる概念というのは、

解釈を行う過程で、

 

 

「本来の意味」である『広い意味』と

「分かりやすく限定された」『狭い意味』

の2つに分かれるんですよ。

 

 

んで、この「分け方」だったり、

「概念に入る中身」であったり、

 

 

そういうのが「人によって違う」から、

意味の錯誤が起きてしまう、と。

まあそういう話ですね。

 

 

 

んで、↓ではこの詳しい話をしていく感じです。

↑だけだとまだちょっとふわっとしてるので、

形式的な表現に書き換えていきます。

 

 

「広い意味」を表す『広義抽象概念』

「分かりやすく限定された」『狭義抽象概念』

 

 

やることとしては、

この2つを厳密に定義していく感じになります。

 

 

 

 

 

意味の違い

 

「広い意味での概念」と

「狭い意味での概念」は、

同一の名前を持ちながら、実は意味が異なります。

 

 

と言われてもという感じだと思いますが、

実はこれ、高い頻度で都合の良いように使われてます。

 

 

というのもこれ、

「誤解を招く表現」の核心に当たる部分

と言ってもいいものでして、

 

 

よく『混同される』ことで、

多くの勘違いを生んでるんですよ。

 

 

 

具体的には、

例えば「差別」とかの表現が代表的でしょうか。

 

 

この概念は

「違いに着目する全ての行為」を含むんですが、

 

 

見ての通りかなり抽象的なので、

「広い意味で」定義すると、

『ほぼ全ての行為』を中身に含むことになります。

 

 

まあつまり『差別』というのは

「広い意味」ではほぼ全部の行為を含むので、

「善も悪も判別不可能」なわけです。

 

 

しかし実際には、

「狭い意味」にあたるはずの

『差別の中でも特に悪い行為』が注目され、

 

 

「差別」と言われたら、

多くの人が『悪い行為』だと勝手に思い込みます。

 

 

そう、人は「差別」と言われたら、

「無意識に狭い意味に変換する」んですよ。

 

 

でこの結果、

本来の意味である「広い意味での差別」と

分かりやすく限定された「狭い意味の差別」は、

 

 

区別されることなく

同一のものとして認識され、

 

 

『違いに注目する行為』と

『悪い行為』は混同されることになり、

どちらも悪だ、となるわけです。

 

 

手順としては、

「抽象的過ぎる概念」→「狭い範囲に変換」

          →「同一視」という具合でしょうか。

 

 

頓珍漢な結論ですが、

こういうことを言っちゃう人は多いですよね。

冷静に考えると、そんなわけないでしょうに。

 

 

 

 

 

広い範囲と狭い範囲

 

↑を見てわかると思いますが、

「概念の範囲が抽象的すぎる」場合、

 

 

「広い意味」と「狭い意味」は、

別のものになることがあります。

 

 

なので、

『広い意味での抽象的な概念』と

『狭い意味での抽象的な概念』は、

 

 

きちんと区別して考える必要があるわけです。

 

 

なのでこれらの性質を見る上では、

それぞれに名前を与えて、

別々にその性質を調べる必要があります。

 

 

 

はい。とまあそういうわけなので、

ここでは『広い』方を、

『広義抽象概念』と呼ぶことにします。

 

 

そしてその

「分類」として定義できる「狭い」方は、

そのまま『狭義抽象概念』と呼ぶことに。

 

 

 

 

 

広義抽象概念

 

まず『広義抽象概念』ですが、

これは「その概念が含むもの全ての集合」とします。

 

 

まあつまり、

こいつは『抽象的な概念の意味』の中でも、

特に「全ての中身を含む概念」になります。

 

 

言い換えるなら、

『分かりやすい形に変換されていない概念』

もしくは『全て内包する概念』といった感じ。

 

 

 

具体的には「もの」「概念」「生物」とか

「愛」「美」「学問」「科学」「数学」とか

「自由」「平等」「差別」とか

 

 

こういうのの『全体像』を

『広義抽象概念』と呼ぶことにします。

 

 

 

 

 

本来の意味と広義抽象概念の違い

 

『広義抽象概念』の意味は、

その概念の「本来の意味」になるとは限りません。

 

 

というのも、

『その概念に含まれてるとされるもの』を

『全て含む』ということは、

 

 

「本来含まれないはずのもの」も、

『含まれるとされる』ことがあるんですよ。

 

 

 

例えば「時代で意味が変わった概念」なんかは、

『本来なら含んでいないもの』を含んだ結果、

違う意味に変化します。

 

 

とまあこのように、

『概念』は「意味が変化する」ことがあるんですよ。

 

 

まあですから、

これはこのままだと定義しにくいんです。

 

 

なので、

「本来の意味」を内包しつつ、

かつ「その後の意味の変化」も内包するような、

 

 

そんな『全て』を内包する

より広いものを考える必要があった、と。

 

 

まあそんな感じで考えられたのが、

『広義抽象概念』なんですね。

 

 

 

 

 

時代で変化した概念

 

「時代で意味が変化した概念」について

具体的な話をしておきます。

 

 

まあテーマがあれなので、

とりあえず現代で歪んだやつでも見てみましょうか。

 

 

代表的なものとしては↓みたいなのがありますね。

三大害悪「差別」「平等」「自由」

 

 

もちろん他にもありますが

それはとりあえずおいといて、

 

 

とりあえず「平等」で見ていくなら、

 

 

これは、本来含まれていない「公平なもの」が

現代ではなぜか含まれている。

そんな概念になります。

 

 

本来の意味は、

「同じということにする」という

 

 

いわゆる『全体を区別しない』感じで、

統計的な感覚が強い概念です。

 

 

そう、そもそも「公平性」とは

真逆の意味を持っているんですよ。

 

 

本来なら、混同されるはずがありません。

 

 

整理しておくと、

「平等」は『同じ』っていう

「違いを無視する」概念であるのに対して、

 

 

「公平」は『違いがある』という、

「頑張りは報われる」というようなことや

「多様性がある」というようなことを指す概念です。

 

 

つまり、

違いを無視して平らに均す「平等」と、

違いがあることを当然とする「公平」では、

 

 

そもそも意味が根本的に異なるんですよ。

 

 

しかし、なぜか現代では混同されていて、

それが当たり前になっています。

 

 

 

はい。とまあこのように、

「実際の意味」は「変化する」ことがあって、

『本来の意味と真逆になる』ことさえあるんです。

 

 

なので、

その「変化」を含んだ概念を考える必要があって、

 

 

そのために『広義抽象概念』を用意して、

「本来の意味」と区別して考えるわけですね。

 

 

 

 

 

広義抽象概念の性質

 

『広義抽象概念』は「本来の意味」と違い、

「そうだと言えるものは全部」含みます。

 

 

そう、「全部」です。

まあですから、難しく考える必要はありません。

概形はシンプルなので、構造は簡単に掴めます。

 

 

というわけで形式的に表現していくと、

 

 

「要求される性質」は『全て』なので、

『ある概念を形成する全ての情報の集まり』

と表現すれば、

 

\begin{array}{rlc} \displaystyle \mathrm{Concept}_{\mathrm{wide}}&≡ \{ i \, | \, i∈\mathrm{Concept}\} \end{array}

 

まあこんな感じになります。

 

 

『全て』ですから、

「後で」情報を追加できるようにしたい。

そういう要望も、これは実現できています。

 

 

形式的にはただの「無限公理」なんですけど、

『概念を定める条件』という点で、

これは無限公理と区別できます。

 

 

 

イメージは『無限に広がる輪っか』

とでも思っておけばだいたい合ってますね。

 

 

「そう思えるもの」という基準で、

中身は無限に詰め込むことができます。

それこそ、間違ってるものでも。

 

 

 

 

 

狭義抽象概念

 

これは「理解しやすい形の概念」で、

人間が『意味を見出せるもの』になります。

 

 

形式的には「広義抽象概念の中身」です。

より厳密には「要素または部分集合」ですね。

 

 

抽象化され、意味が変化した場合では、

「本来の意味」もまたこれに含まれます。

 

 

 

とまあこんな感じで、

「同じ名前の概念」であるにも拘らず、

これは『広義抽象概念とは明らかに異なる』ものです。

 

\begin{array}{rlc} \displaystyle \mathrm{Concept}_{\mathrm{narrow}}&≡\{i_1,i_2,i_3,...,i_n\} \\ \\ &≡\{i \,|\, i∈A \} \\ \\ \\ ∃A& \displaystyle \bigwedge_{k=1}^{n} i_k ∈ A \end{array}

 

形式はこんな感じ。

A は「概念の共通の性質」で、

これはそのまま「概念を構成する条件」になります。

 

 

 

 

 

狭義抽象概念の種類

 

『狭義抽象概念』は主に3種類あって、

それぞれ意味が異なる場合があります。

 

 

内訳は「実際」「個人」「社会」の3つ。

 

 

特に、人が認識できるのは

「個人」と「社会」の2つで、

 

 

基本的に、

「実際」は人間に正しく認識できません。

『定義が変化する』ので。

 

 

まあですから、

「人間が認識できる実際」は、

厳密には『実際に近い個人的な解釈』になります。

 

 

 

 

 

狭義抽象概念の形成手順

 

『狭義抽象概念』というのは、

いわば「個人の経験」とか「社会通念」とか

なんかそういうのです。

 

 

まあいわば「個人の思うそれ」で、

「実際の概念」とは基本的に異なります。

 

 

 

確認しておくと、

「人が抽象的な概念を理解する」時、

人は「分かりやすい形に変換」して記憶します。

 

 

んで、その「分かりやすい形」というのは、

ほぼ確実に『自身の経験』です。

 

 

 

整理しておくと、そもそも

人は「自分に理解できることしか理解できません」

 

 

加えて、「自分の経験」以上の

「高い信頼性のある情報」はありません。

 

 

となると必然、

人は何かを判断する時、

「自分の経験」に基づいて判断することに。

 

 

んで、これは「概念の形成」でもまた同様で、

 

 

人は「概念を理解する」時、

その中身に「自分の経験」を詰め込みます。

 

 

結果、それら有限の情報が色濃く反映されて、

「抽象的過ぎる概念」は、

「そこそこ具体的な概念」になるんです。

 

\begin{array}{rlllll} \displaystyle \mathrm{Concept}_{\mathrm{abstract}} &→& i∈\mathrm{Experience} \\ \\ &→&i∈\mathrm{Concept}_{\mathrm{narrow}} \\ \\ &→& \mathrm{Understand} \end{array}

 

まとめると、順番はこんな感じですね。

 

 

 

 

 

実際の概念と狭義抽象概念

 

「実際の概念」というのは、

厳密には『僅かに変動し続ける』もので、

基本的に人間には「正確には」理解できません。

 

 

「辞書的な意味」で考えたら?

と考える人はいるかもしれませんが、

 

 

これも整理して考えてみると、

「辞書的意味」→「個人の解釈」→「理解」なので、

結局、解釈の段階で個人の主観に依存します。

 

 

 

 

 

狭義抽象概念と個人的解釈

 

人は『概念を理解するため』に、

『分かりやすい形へ変換する』必要があります。

 

 

でその場合、

人は「自分の経験」を参照するので、

必ず「概念の中身」には偏りが生まれます。

 

 

ただそれでも、

やはり「共通の認識」は存在していて、

だからこそ「概念を共有する」ことは可能。

 

 

 

まとめると、

『狭義抽象概念』は「人によって意味が変わる」ので、

基本的に『同一のものは存在しません』

 

 

しかし「共通する要素は存在する」ので、

その点で、意味を共有することはできます。

 

 

 

 

 

狭義抽象概念と社会的な概念

 

「常識」とか「一般的な価値観」とか、

そういうのを「社会的な概念」と言います。

 

 

と言っても、

これはたぶん比較しないと分かり辛いので、

具体的な話で見ていきましょうか。

 

 

そのために、とりあえず「平等」を考えてみます。

  

 

整理すると、

こいつの本来の意味は『違いを無視する』こと。

つまり「同じとする」ことです。

 

 

しかし実際には、

「公平性」という意味を含んで使っている人もいれば、

そのまま「同じ」という意味で使っている人もいて、

 

 

それぞれ好き勝手に、

『都合の良い』ように解釈されています。

 

 

それが間違っているかどうか。

ここでそれは重要ではありません。

 

 

 

ともかく、

「個人的な解釈」が、

「実際の意味とずれている」ということは事実。

 

 

なぜなら『自然に考えれば』

「公平性」の感覚を

「平等」が含むはずは無いわけで。

 

 

しかし実際には、

「なぜか」それは含まれていて、

「多くの人」が、それを当然と感じています。

 

 

 

不思議ですよね。

「間違っている」のに「当然」というのは、

いったいどういうことなのか。

 

 

 

結論を言うと、

これが「社会的な概念」の核心部分です。

 

 

正しいかどうかはさておいて、

「広く浸透した概念」

 

 

こういう「常識・社会通念・一般的価値観」を、

「社会的な概念」と言っています。

 

 

別の言い方には、

「洗脳の成果」というのもありますね。

 

 

いわゆる「大衆心理」というやつで、

これは基本的に洗脳によって形作られます。

 

 

具体的には「国家主導の教育」を含む、

「マスメディア」の利用によって。

 

 

 

まあともかく、こういう

「多くの人に与えられた情報」というのが、

こういう概念を形成するんですね。

 

 

まあですから、

「平等」と「公平」を混同されるのは、

この『間違い』が「社会に浸透した」からで、

 

 

だからこそ、

間違っていてもそう感じる人がいる、と。

まあそういうわけです。

 

 

 

まとめると、

「社会的な狭義抽象概念」とは、

「多くの人に与えられた概念」のことで、

 

 

これが間違っている場合、

概念は大きく歪むことがあるわけです。

 

 

 

現代であれば、

最も歪んでるのは「差別」と「平等」ですね。

 

 

加えて、

「数学」とかも実はかなり歪んでいます。

 

 

 

とまあこのように、

「社会的な概念」というのは、

『概念を歪ませる』ことがあるんですね。

 

 

で、この「概念を歪ませる」という点で、

「個人の概念」とは明確に区別できるので、

 

 

「狭義抽象概念」の中でも特別な概念として

これを定義しなければなりません。

 

 

 

最後、補足しておくと、

「時代による変化」の正体はこいつです。

 

 

 

 

 

広義抽象概念と狭義抽象概念

 

「広義」的な意味で解釈する場合

「狭義」的な意味で解釈する場合

 

 

これらは基本的に、

「意味が一致する」ことはありません

 

 

 

というのも、

「広義抽象概念」は、

定義の曖昧さがほとんどありません。

 

 

無数の情報で具体性が薄まって、

統一的な共通点はふわっとしたものになり、

うまく説明するのが困難ですが、

 

 

その外観・全体像は簡単に定義できます。

 

 

 

逆に、「狭義抽象概念」は

「定義」はそこそこ難しいです。

 

 

その意味は具体的で、

中身の共通点は見出しやすいですが、

 

 

「経験的に」理解されるため、

見当違いな捉え方をされることがあります。

 

 

その点で、「狭義抽象概念」は、

そういうふわっとしたものを許容し、

 

 

その上で個別に定義されるので、

広義抽象概念よりも定義が困難です。

 

 

 

とまあこのように、

「同じ名前を持っている」にも拘らず、

2つの概念はまるで異なるんですよ。

 

 

 

ですから、

『とても抽象的な概念を解釈する』時、

 

 

「広義」と「狭義」で、

明確に分けて考える必要があるんですね。







まとめ

 

『答えが出ない問題』の

話の核となる事実は以下の3つ。

 

 

『真偽に影響を与える自由変数の存在』

『↑を含む抽象概念の存在』

 

 

『自由変数に値を入れる』ことで、

『真偽の判別が可能な状態に近づく』こと。

 

 

 

以上の3つの事実から、

「全体像」「基礎」「分類」を定める。

 

 

 

結論、「答えが出る」ということは、

『真偽の判別が可能』であることとする。

 

 

『真偽の判別が可能かどうか』は、

『自由変数に値を入れるかどうか』で決まる。

 

 

つまり人の裁量によって、

答えの有無は定まる。

 

 

 

「基礎」は、

『概念』を「表現する」場合、

 

 

多くは「言語」を使用することから、

『論理的主張を使う』とする。

 

 

また、『人間は有限回しか記述できない』ことから、

「全ての真偽を定義することはできない」とする。

 

 

 

加えて、

『答え』を得るための「準備」

つまり『自由変数の扱い』を定義する。

 

 

そのために、

まず「例外を排除」することによって、

概念と主張の「全体像」を定める。

 

 

続いて、

『答えの有無』の「判定の基準」を定める。

 

 

具体的には、

「主張全体の真偽が判別可能か」を確認し、

判別不可能なら「自由変数の有無」を確認する。

   

 

 

「分類」については、

『意味』の解釈が複数存在することを定める。

 

 

具体的には、

「同一の名前を持つ概念」であっても、

『広い意味』と『狭い意味』で異なることを確認。

 

 

 

 

 

答えの定義

 

『真偽の判定が可能な主張』を「答え」と定義する。

 

\mathrm{if}

\begin{array}{lllll} & \displaystyle ∃i_{\mathrm{answer}} & i_{\mathrm{answer}}∈\mathrm{Assertion} \\ \\ ∧&i_{\mathrm{answer}}\,\,\mathrm{is}&\mathrm{possible\,\,\,\,to\,\,judge\,\,of\,\,true/false} \end{array}

 

\mathrm{then}

\begin{array}{llll} \displaystyle ∃\mathrm{Answer}&i_{\mathrm{answer}}∈\mathrm{Answer} \end{array}

 

 

 

 

 

非束縛抽象概念の定義

 

『真偽に影響を与える自由変数の存在』と

『これを持つ抽象概念』を定義する。

 

\mathrm{if}

\begin{array}{lllll} &\displaystyle ∃x_{\mathrm{free}} &x_{\mathrm{free}}∈\mathrm{Variable}_{\mathrm{free}} \\ \\ ∧&∃i_{\mathrm{unbound}}&i_{\mathrm{unbound}}∈\mathrm{Concept} \\ \\ \\ ∧&&x_{\mathrm{free}}∈i_{\mathrm{unbound}} \\ \\ ∧&i_{\mathrm{unbound}}\,\,\mathrm{is}&\mathrm{\textcolor{skyblue}{not}}\,\,\mathrm{possible\,\,\,\,to\,\,judge\,\,of\,\,true/false} \end{array}

 

\mathrm{then}

\begin{array}{lllll} ∃\mathrm{Concept}_{\mathrm{unbound}}&i_{\mathrm{unbound}}∈\mathrm{Concept}_{\mathrm{unbound}} \end{array}

 

 

この『自由変数を持つ抽象概念』を、

「真偽を左右する概念」として定義する。

非束縛という単語は自由変数の性質から引用。

 

 

 

 

 

完全定義不可能原理

 

『全てを定義することはできない』

という事実を原理として宣言しておく。

 

\mathrm{if}

\begin{array}{lllll} \displaystyle &∃i_{\mathrm{defined}} & i_{\mathrm{defined}}∈\mathrm{Concept} \\ \\ ∧&∃\mathrm{Concept}_{\mathrm{defined}} & ∀i_{\mathrm{defined}}\,\,i_{\mathrm{defined}}∈\mathrm{Concept}_{\mathrm{defined}} \end{array}

 

\mathrm{then}

\begin{array}{rlc} ∃i_{\mathrm{undefined}}&i_{\mathrm{undefined}}∈\mathrm{Concept}∖\mathrm{Concept}_{\mathrm{defined}}\end{array}

 

 

これが正しいとする根拠は↓の2つ。

人間には『有限回しか定義できない』こと。

『パラメータは無数に生成できる』こと。

 

 

 

真偽が確定するまでの順序

 

人間が真偽を判断する順序を宣言。

↑とセットで『完全定義不可能原理』とします。

 

\mathrm{if}

\begin{array}{lllll} &\displaystyle ∃i_{\mathrm{assertion}}& i_{\mathrm{assertion}}∈\mathrm{Assertion} \\ \\ ∧&∃i_{\mathrm{premise}}&i_{\mathrm{premise}}∈\mathrm{Premise}\\ \\ ∧&∃i_{\mathrm{conclusion}}&i_{\mathrm{conclusion}}∈\mathrm{Conclusion} \\ \\ \\ ∧&& \Bigl( \mathrm{Premise},\mathrm{Conclusion} \Bigr)∈i_{\mathrm{assertion}} \end{array}

 

\mathrm{then}

\begin{array}{lllll} &\displaystyle \mathrm{card}\Bigl(\mathrm{premise}\Bigr)<\aleph_0 \\ \\ \\ ∧& \mathrm{There\,\,is\,\,possibility\,\,that} \\ \\ &i_{\mathrm{assertion}}\,\,\,\,\,\mathrm{is} \,\, \mathrm{possible\,\,to}\,\,\mathrm{judge \,\,of}\,\,\mathrm{true/false} \end{array}

 

 

これは「省略された前提」を

「どこまで参照するか」という点で、

機械的に実現するのが困難な部分になります。

 

 

また、結論の不明部分は前提で説明されるので、

結論の不明部分は見る必要はありません。

 

 

 

パラメーターの生成規則

 

これはそのまま無限公理を参考に、

『正しいということにする仮定の存在』から、

『未定義部分の存在』を保証します。

 

\mathrm{if}

\begin{array}{lllll} \displaystyle &∃i_{\mathrm{hypothesis}}&i_{\mathrm{hypothesis}}∈\mathrm{Hypothesis} \\ \\ ∧&i_{\mathrm{hypothesis}}\,\,\,\,\,\mathrm{is}&\mathrm{true} \\ \\ \\ ∧&\displaystyle ∃i_{\mathrm{assertion}}& i_{\mathrm{assertion}}∈\mathrm{Assertion} \\ \\ ∧&∃i_{\mathrm{premise}}&i_{\mathrm{premise}}∈\mathrm{Premise}\\ \\ ∧&∃i_{\mathrm{conclusion}}&i_{\mathrm{conclusion}}∈\mathrm{Conclusion} \\ \\ \\ ∧&& \Bigl( \mathrm{Premise},\mathrm{Conclusion} \Bigr)∈i_{\mathrm{assertion}} \\ \\ ∧&& \Bigl( ∅,\mathrm{Conclusion} \Bigr)∈i_{\mathrm{hypothesis}} \end{array}

 

\mathrm{then}

\begin{array}{lllll} ∃\mathrm{Premise}_{\mathrm{new}} & \Bigl( \mathrm{Premise}_{\mathrm{new}},\mathrm{Conclusion} \Bigr)∈i_{\mathrm{hypothesis}} \end{array}

 

 

 

 

 

例外排除・議論領域の限定

 

『範囲を限定することで範囲外を排除する』ことで、

『真偽を確定させる』手続きを宣言しておく。

 

\mathrm{if}

\begin{array}{lllll} & \displaystyle ∃i_{\mathrm{premise}}&i_{\mathrm{premise}}∈\mathrm{Premise} \\ \\ ∧&∃i_{\mathrm{conclusion}} & i_{\mathrm{conclusion}}∈\mathrm{Conclusion} \\ \\ \\ ∧&∃\mathrm{Assertion}_{\mathrm{logical}}&(i_{\mathrm{premise}}⇒i_{\mathrm{conclusion}})∈\mathrm{Assertion}_{\mathrm{logical}} \\ \\ ∧&∀i_{\mathrm{limited}} & i_{\mathrm{limited}}∈\mathrm{Assertion}_{\mathrm{logical}} \\ \\ \\ ∧ & i_{\mathrm{premise}}\,\,\mathrm{is} & \mathrm{True/False} \\ \\ ∧ & i_{\mathrm{limited}}\,\,\mathrm{is} & \mathrm{True/False} \end{array}

 

\mathrm{then}

\begin{array}{lllll} ∃\mathrm{Domain}&∀i_{\mathrm{limited}}\,\,i_{\mathrm{limited}}∈\mathrm{Domain} \end{array}

 

これは『前提』の整備でもあり、

内側だけに着目して議論できるようにする手順。

つまり「外側を見ない」処理でもある。

 

 

 

 

 

答えの有無の判定と分岐

 

『自由変数に値を入れて定数にする』ことで、

『真偽の判別が可能な状態に近づく』が、

 

 

『真偽を左右する自由変数』の

『全て』を注目することはできない。

 

 

つまり『全て』を見ずに、

答えの出る出ないを定める必要がある。

 

 

 

・真偽が判断できる場合

 

『直観的に真偽が判定できる』のは事実。

そのためこの場合では、

『自由変数に着目する必要は無い』とする。

 

\mathrm{if}

\begin{array}{lllll} &∃i_\mathrm{assertion} & i_\mathrm{assertion}∈\mathrm{Assertion} \\ \\ ∧ & i_\mathrm{assertion}\,\,\,\,\mathrm{is} & \mathrm{possible\,\,\,\,to\,\,judge\,\,of\,\,true/false} \end{array}

 

\mathrm{then}

\begin{array}{rlc} ∃\mathrm{Answer} & i_\mathrm{assertion}∈\mathrm{Answer} \end{array}

 

つまりこの場合は、

その『主張』はそのまま「答え」になる。

 

 

 

・真偽を判断できない場合

 

『直観的に真偽が判断できない』場合、

『真偽を左右する自由変数が存在する』とする。

 

\mathrm{if}

\begin{array}{lllll} &\displaystyle ∃i_{\mathrm{assertion}_{\mathrm{unknown}}} & i_{\mathrm{assertion}_{\mathrm{unknown}}}∈\mathrm{Assertion}_{\mathrm{unknown}} \\ \\ ∧&i_{\mathrm{assertion}_{\mathrm{unknown}}}\,\,\,\,\mathrm{is}&\mathrm{\textcolor{skyblue}{not}}\,\,\mathrm{possible\,\,\,\,to\,\,judge\,\,of\,\,true/false} \\ \\ \\ &&\Bigl( \mathrm{Premise},\mathrm{Conclusion} \Bigr)∈i_{\mathrm{assertion}_{\mathrm{unknown}}} \end{array}

 

 

\left[\left(\begin{array}{lllll} ∃i_{\mathrm{premise}}∈\mathrm{Premise} \\ \\ ∧\,\,\,\,\,\textcolor{pink}{\mathrm{Some}}\,\,i_{\mathrm{premise}}\,\,\,\,\mathrm{is\,\,\textcolor{skyblue}{not}}\,\,\mathrm{possible\,\,\,\,to\,\,judge\,\,of\,\,true/false} \\ \\∧\,\,\,\,\,\mathrm{Premise}\,\,\,\,\mathrm{is}\,\,\mathrm{possible\,\,\,\,to\,\,\textcolor{pink}{define}\,\,of\,\,true/false} \end{array}\right)\right.

\left.\left(\begin{array}{lllll} ∃i_{\mathrm{conclusion}}∈\mathrm{Conclusion} \\ \\ ∧\,\,\,\,\,\textcolor{pink}{\mathrm{Some}}\,\,i_{\mathrm{conclusion}}\,\,\,\,\mathrm{is\,\,\textcolor{skyblue}{not}}\,\,\mathrm{possible\,\,\,\,to\,\,judge\,\,of\,\,true/false} \\ \\ ∧\,\,\,\,\,\mathrm{Conclusion}\,\,\,\,\mathrm{is}\,\,\mathrm{possible\,\,\,\,to\,\,\textcolor{pink}{define}\,\,of\,\,true/false} \end{array}\right)\right]

 

\mathrm{then}

\begin{array}{lllll} &∃x_{\mathrm{free}}&x_{\mathrm{free}}∈i_{\mathrm{premise}}&∈\mathrm{Premise} \\ \\ ∨&∃x_{\mathrm{free}}&x_{\mathrm{free}}∈i_{\mathrm{conclusion}}&∈\mathrm{Conclusion} \end{array}

 

 

この場合には、

『真偽の判断ができない』とする。

 

 

加えてこの場合、

『真偽を左右する自由変数』の在り処は、

主張全体のどこかになる。

 

 

具体的には、

『非常に抽象的な概念』が

『真偽を左右する自由変数』になり得る。

 

 

 

 

 

答えを出せるようにする

 

『自由変数に具体的な値を入力することができる』

『自由変数が無いなら主張の真偽は定まるとする』

この2つの事実を宣言する。

 

 

言い換えるなら、これは

「答えが出るようにできる」という宣言。

 

\mathrm{if}

\begin{array}{lllll} &\displaystyle ∃x_{\mathrm{free}}&x_{\mathrm{free}}∈\mathrm{Variable}_{\mathrm{free}} \\ \\ \\ ∧&\displaystyle ∃i_{\mathrm{assertion}}& i_{\mathrm{assertion}}∈\mathrm{Assertion} \\ \\ ∧&∃i_{\mathrm{premise}}&i_{\mathrm{premise}}∈\mathrm{Premise}\\ \\ ∧&∃i_{\mathrm{conclusion}}&i_{\mathrm{conclusion}}∈\mathrm{Conclusion} \\ \\ \\ ∧&& \Bigl( \mathrm{Premise},\mathrm{Conclusion} \Bigr)∈i_{\mathrm{assertion}} \\ \\ \\ ∧&∃\mathrm{Primise}_{\mathrm{lack}}&x_{\mathrm{free}}∈\mathrm{Primise}_{\mathrm{lack}} \\ \\ ∧&∃i_{\mathrm{assertion}_{\mathrm{unknown}}}&\Bigl( \mathrm{Primise}_{\mathrm{lack}},\mathrm{Conclusion} \Bigr)∈i_{\mathrm{assertion}_{\mathrm{unknown}}} \end{array}

 

\begin{array}{lllll} \displaystyle ∧&\mathrm{It's\,\,possible\,\,to}\,\,\,\mathrm{Enter}\,\,\mathrm{value\textcolor{black}{s}}\,\,\mathrm{in}\,\,x_{\mathrm{free}} \\ \\ ∧&\mathrm{Enter}\,\,\mathrm{value\textcolor{black}{s}}\,\,\mathrm{in}\,\,x_{\mathrm{free}} \end{array}

 

\begin{array}{lllll} \displaystyle ∧&∃i_{\mathrm{assertion}_{\mathrm{entered}}}&i_{\mathrm{assertion}_{\mathrm{entered}}}\,\,\mathrm{is} \,\, i_{\mathrm{assertion}} \\ \\ &&\mathrm{after}\,\,\mathrm{\textcolor{black}{the}\,\,value\,\,is\,\,entered}\,\,\mathrm{in}\,\,x_{\mathrm{free}} \end{array}

 

\begin{array}{lllll} ∧&i_{\mathrm{assertion}_{\mathrm{entered}}}\,\,\,\,\mathrm{is}&\mathrm{possible\,\,\,\,to\,\,judge\,\,of\,\,true/false} \end{array}

 

\mathrm{then}

\begin{array}{lllll} i_{\mathrm{assertion}_{\mathrm{entered}}}∈\mathrm{Answer} \end{array}

 

 

真偽が不確かである場合、

『省略された自由変数の存在』を確定させる。

 

 

 

 

 

広義と狭義での意味の違い

 

『抽象的過ぎる概念』は、

『狭い範囲』と『広い範囲』で意味が異なる。

 

 

『性質』も『定義のされ方』も異なるので、

2つを別々に定義する必要がある。

 

 

また、『人間が認識する』のは、

基本的には『狭い範囲』になる。

 

\mathrm{if}

\begin{array}{lllll} \mathrm{Recognize}&\displaystyle \mathrm{Concept}_{\mathrm{abstract}} \\ \\ ∃i_{\mathrm{experience}}&i_{\mathrm{experience}}∈\mathrm{Experience} \end{array}

 

\mathrm{then}

\begin{array}{lllll} ∃\mathrm{Concept}_{\mathrm{narrow}}&\displaystyle i_{\mathrm{experience}}∈\mathrm{Concept}_{\mathrm{narrow}} \\ \\ \mathrm{Understand}&\mathrm{Concept}_{\mathrm{narrow}} \end{array}

 

「人が無意識に概念を理解する」時は、

この手順を経ている。

 

 

 

広義抽象概念の定義

 

『広い意味』として、

「個人による違い」を許さない概念を考える。

 

 

そのために『全てを内包した概念』を考え、

これを「広い意味」として定義する。

 

\mathrm{if}

\begin{array}{lllll} ∃i_{\mathrm{assertion}_{\mathrm{concept}}}&∀i_{\mathrm{assertion}_{\mathrm{concept}}}∈\mathrm{Concept}_{\mathrm{abstract}} \end{array}

 

\mathrm{then}

\begin{array}{lllll} ∃\mathrm{Concept}_{\mathrm{wide}}\,\,∀i_{\mathrm{assertion}_{\mathrm{concept}}}∈\mathrm{Concept}_{\mathrm{wide}} \end{array}

 

 

形式は↓

 

\mathrm{if}

\begin{array}{lllll} ∃\mathrm{Concept}_{\mathrm{wide}}&∀i_{\mathrm{assertion}_{\mathrm{concept}}}∈\mathrm{Concept}_{\mathrm{wide}} \end{array}

 

\mathrm{then}

\displaystyle \mathrm{Concept}_{\mathrm{wide}}=\Bigl\{ \,i \mathrel{}{\LARGE |}\mathrel{} i∈\mathrm{Concept}_{\mathrm{abstract}} \, \Bigr\}

 

概念の「客観的な意味」に近いのがこれ。

抽象的過ぎる構造を持つことがあるので、

『相反する要素』を持つこともある。

 

 

それほど抽象的な概念が主張に含まれる場合、

その主張はほぼ確実に矛盾している。

 

 

 

狭義抽象概念の定義

 

『条件』により『具体性が上がっている』場合、

『具体的でわかりやすい意味』になっている。

 

\mathrm{if}

\begin{array}{lllll} &∃i_{\mathrm{assertion}_{\mathrm{parsonal}}}&i_{\mathrm{assertion}_{\mathrm{parsonal}}}∈\mathrm{Concept}_{\mathrm{abstract}} \\ \\ ∧& i_{\mathrm{assertion}_{\mathrm{parsonal}}}\,\,\mathrm{is}&\mathrm{\textcolor{black}{an}\,\, individual's\,\,choice} \end{array}

 

\mathrm{then}

\begin{array}{rlc} ∃\mathrm{Concept}_{\mathrm{narrow}}&i_{\mathrm{assertion}_{\mathrm{parsonal}}}∈\mathrm{Concept}_{\mathrm{narrow}} \end{array}

 

 

形式的な定義は↓

 

\begin{array}{rlc}\displaystyle \mathrm{Concept}_{\mathrm{narrow}}&≡\displaystyle \{ i_1,i_2,...,i_n \} \end{array}

 

\mathrm{if}

\begin{array}{lllll} ∃\mathrm{Property}& \displaystyle \bigwedge_{k=1}^{n} i_k ∈ \mathrm{Property} \end{array}

 

\mathrm{then}

\begin{array}{rlc}\displaystyle \mathrm{Concept}_{\mathrm{narrow}}&≡\displaystyle \{ i_1,i_2,...,i_n \} \\ \\ &≡\{i \, | \, i∈\mathrm{Property} \} \end{array}

 

 

共通する性質によって定義された概念は、

『広義抽象概念』の「部分集合」になる。

 

 

 

 

 

抽象度の数値化

 

人の意識が扱えるのは『狭義抽象概念』

想定できる広範囲の概念が『広義抽象概念』

 

 

この2つの比較は『集合の濃度』を利用する。

構造は「順序数」もしくは「宇宙」を参考に、

「冪集合」を採用する。

 

 

 

抽象度の基礎

 

「認識するのは有限の情報」であることから、

「五感情報」を基礎とし、濃度を有限に定める。

 

\mathrm{if}

\begin{array}{rlc} \mathrm{Concept}_{\mathrm{narrow}}&≡\displaystyle \{ i_1,i_2,...,i_n \} \end{array}

 

\mathrm{then}

\begin{array}{lllll} \displaystyle \mathrm{Cardinal}\Bigl(\mathrm{Concept}_{\mathrm{narrow}}\Bigr)&=n \end{array}

 

 

 

内包型の濃度

 

『抽象概念』が「内包型」で定義されている場合、

「情報が無数に存在する」とする。

 

\mathrm{if}

\begin{array}{lllll} &\displaystyle \mathrm{Concept}_{\mathrm{narrow}} &≡\{i \, | \, i∈\mathrm{Property} \} \\ \\ ∧&\mathrm{Concept}_{\mathrm{wide}}&=\Bigl\{ \,i \mathrel{}{\LARGE |}\mathrel{} i∈\mathrm{Concept}_{\mathrm{abstract}} \, \Bigr\} \end{array}

 

\mathrm{then}

\begin{array}{llll} &\displaystyle \mathrm{Cardinal}\Bigl(\mathrm{Concept}_{\mathrm{narrow}}\Bigr)&=\aleph_0 \\ \\ ∧&\displaystyle \mathrm{Cardinal}\Bigl(\mathrm{Concept}_{\mathrm{wide}}\Bigr)&=\aleph_0 \end{array}

 

『内包型の狭義抽象概念』は

『広義抽象概念の部分集合』として定義できるので、

濃度を合わせておく必要がある。

 

 

 

更に抽象的な概念との比較

 

広義抽象概念を内包している

更に抽象的な概念が存在する場合、

 

 

その『広義抽象概念』の濃度を

冪集合の濃度と定義する。

 

\mathrm{if}

\begin{array}{lllll} \displaystyle ∃\mathrm{Concept}_{\mathrm{cloud}}&\mathrm{Concept}_{\mathrm{wide}}∈\mathrm{Concept}_{\mathrm{cloud}} \end{array}

\begin{array}{rlc} \mathrm{Cardinal}\Bigl( \mathrm{Concept}_{\mathrm{wide}} \Bigr)&=\aleph_0 \end{array}

 

\mathrm{then}

\begin{array}{lllll} \displaystyle \mathrm{Concept}_{\mathrm{cloud}}&≡2^{ \mathrm{Concept}_{\mathrm{wide}}} \\ \\ \mathrm{Cardinal}\Bigl( \mathrm{Concept}_{\mathrm{cloud}} \Bigr)&=\aleph_1 \\ \\ \\ \mathrm{Cardinal}\Bigl( \mathrm{Concept}_{\mathrm{wide}} \Bigr)&<\mathrm{Cardinal}\Bigl( \mathrm{Concept}_{\mathrm{cloud}} \Bigr) \end{array}

 

これにより、

「抽象度」を数で比較できるようになる。

 

 

 

 

 

以上、

「答えの出ない問題」は

こういう感じになってるんですね。

 

 

 

哲学的な錯誤が起きる場合は、

だいたい↑の手順を間違えてます。

 

 

特に、広義と狭義の混同は

ものすごい頻度で起きてますね。

 

 

取分け三大害悪「差別・平等・自由」は厄介で、

わりと深刻に社会を腐らせてます。