幸福規範 Happiness Norm


|| 宗教と幸福を分離した成果

「神を不在とする」形の「生きる意味」について

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目次

 

幸福「誰もが野放図に求めると治安が終わる」

   宗教的幸福「個人と全体の幸福を神で調整」

   幸福規範「調整部分から神と神話を取り除く」

      幸福基礎「幸福に関しての前提となる事実」

      幸福実態「私たちの幸福を形成する実際の恩恵」

      幸福方向性「他者と衝突し辛い幸福の形を提示」

      歴史的継承「私たちの幸福のルーツ」

 

願い「生存優位形質により獲得した指向性」

   生存優位形質「生存率が向上した生物の物理的性質」

   普遍願望「人間の根源的な基礎となる願望」

      生存本能「恐怖や苦痛の活性から来る願望」

      報酬系「快楽の活性を求める願望」

      正しさ「正確に認識したいという願望」

 

 

 

 

 


幸福 Happiness

 

|| 人間の生きる意味に直結する概念の1つ

「生きる理由の1つ」になるもの

 

\begin{array}{ccc} 生きる意味 &\to& 幸福 & \left\{ \begin{array}{l} 個人的幸福 \\ \\ 全体的幸福 \end{array} \right. \end{array}

 

このような形で分類でき

これらは多くの場面で衝突します。

(幸福追求による衝突の善悪はここでは語りません)

 

 

 

 

 

最大需要と幸福

 

この「幸福・幸せ」という『結果』は

経済』の基礎の1つとも言える概念で

 

\begin{array}{lclcl} 食料武力維持発展など &←& 生存 &\to& 幸福 \\ \\ 家屋設備警備など&←& 安心 &\to& 幸福 \\ \\ 水道ガス電気など &←& 便利 &\to& 幸福 \\ \\ 食事睡眠性的刺激など&←& 快楽 &\to& 幸福 \\ \\ 芸術人間関係など &←& 感動 &\to& 幸福 \end{array}

 

「無意識レベルを含む」なら

『求めていない人間は存在しない』と言えます。

(意識レベルに限定するなら求めていない人間はいる)

 

 

 

 

 

宗教的幸福 Religious Happiness

 

|| 個人と全体の幸福を接続した古い規範

「欲望を抑える」ことを『正当化できた規範』

 

\begin{array}{lcl} 従う &←& 神が決めたから \\ \\ 考えない &←& 神が決めたから \\ \\ 正しい &←& 神が決めたから \end{array}

 

「宗教」が受け入れられた最大の理由は

 

\begin{array}{ccc} 神の許し &\to& 正しい &\to& 安心 \end{array}

 

『最小労力で幸福が手に入った』からで

(精神的な安定が思考停止で手にできる)

 

\begin{array}{ccc} 宗教の恩恵 & \left\{ \begin{array}{l} 幸福の無料提供 \\ \\ 秩序維持の正当性提供 \end{array} \right. \end{array}

 

「宗教」が広く浸透できたのは

 

\begin{array}{ccc} 神の裁定 &\to& 罰の正当化 &\to& 乱す者を排除 \end{array}

 

「秩序を乱すもの」に対して

『排除できる正当な理由』を用意できたからになります。

(これにより暴力などの快楽をも提供できていた)

 

 

 

 

 

宗教的幸福から実際的幸福へ

 

この記事ではこれを原型に

必要な部分だけを抽出します。

 

\begin{array}{ccc} 教義 &\longrightarrow& 事実 \\ \\ 神 &\longrightarrow& 人間 \end{array}

 

いろんな宗教に喧嘩を売るような内容ではありますが

ただ「それに神は必要ないよね」と言うだけなので

『宗教の良い部分』については否定しません。

 

\begin{array}{ccc} 宗教 && 科学 \\ \\ 精神的恩恵が大半 &\to& 現実的恩恵が大量 \end{array}

 

また、単純な「宗教vs科学」のような話もしません。

以下は宗教を否定する話ではなく更新する話なので。

 

 

 

 

 


幸福規範 Happiness Norm

 

|| 宗教の役割を代替できる規範

「個人」と「全体」の幸福の基礎となる事実

 

\begin{array}{ccc} 基礎 & \left\{ \begin{array}{lcc} 誰しもが幸せになりたい \\ \\ 幸せになろうとすることは悪いことではない \end{array} \right. \end{array}

 

まずこの前提が基盤として存在し

(幸福を神という外的要因で肯定せず内面化する)

 

\begin{array}{llc} 実態 & \left\{ \begin{array}{lcc} 自分を支えてくれる誰かがいるが \\ \\ そのほとんどの人は顔も名前も分からない \end{array} \right. \\ \\ \\ 方向性 & \left\{ \begin{array}{lcc} 誰かに承認されるのは幸せなことだ \\ \\ 自然と溢れる敬意が感謝に繋がる \end{array} \right. \end{array}

 

「他者と衝突し辛い幸福」の「方向性」を与える。

(他者を害さない幸福の形を強制せず紹介に留める)

 

\begin{array}{ccc} 歴史的継承 & \left\{ \begin{array}{lcc} 遺したい先人たちの意志 \\ \\ 誰かの幸福を願った過去の偉人がいる \end{array} \right. \end{array}

 

最後に「生き方」についての事実を提示した

『遺したいと思えるもの』について紹介する

 

\begin{array}{ccc} 幸福規範 & \left\{ \begin{array}{lclcl} 基礎 && 神&\to&人間 \\ \\ 実態 && 神&\to& 人間 \\ \\ 方向性 && 教義 &\to& 事実 \\ \\ 歴史的継承 && 神話 &\to& 事実 \end{array} \right. \end{array}

 

これらをまとめたものが

「幸福規範」の全景になります。

(この規範が『個人と全体の幸福の両立』の指標になる)

 

 

 

 

 


幸福基礎 Foundation

 

|| 疑わなくても良いし疑っても良い

「人間という生物」が持つ根源的方向性と事実

 

\begin{array}{ccc} 基礎 & \left\{ \begin{array}{lcc} 誰しもが幸せになりたい \\ \\ 幸せになろうとすることは悪いことではない \end{array} \right. \end{array}

 

前者が「生物的な根源的方向性」で

後者が「否定し辛い事実」になります。

 

 

 

 

 

幸福規範は否定しても良い

 

この「基礎」は2つのレトリックで構成されていて

 

\begin{array}{lcl} 確認不可能 &\to& 正しいと仮定する \\ \\ 悪ではない &\to& 正しいあるいは判別不可 \end{array}

 

論理的に否定し辛い構造になっています。

(否定自体はできるが否定する理由がかなり乏しい)

 

 

確認しておくと

 

\begin{array}{lcl} 無意識レベルを確信できるか? &\to& できない \\ \\ ほぼ全ての人間 &\to& 当てはまる \end{array}

 

まず「事実」は否定しきれません。

(真理とは言えないが『真理と仮定できる』)

 

\begin{array}{ccc} 幸せになりたいは悪? &\to& 自分も? \end{array}

 

またこれは『否定しても良い』んですが

 

\begin{array}{lcl} 幸福の希求は悪 &\to& 他者の幸福希求は悪 \\ \\ 幸福の希求は悪 &\to& 自分の幸福希求も悪 \end{array}

 

これを否定するということは

「自らの幸福希求」を悪と定義することに繋がります。

(罪悪感や逆張りなどの意識レベルでこれは起こり得る)

 

 

 

 

 

幸福実態 Actual Benefit

 

|| 他者を正当化できる否定し辛い事実

「他者を受け入れる」ことを正当化できる理由

 

\begin{array}{c} 実態 & \left\{ \begin{array}{lcc} 自分を支えてくれる誰かがいるが \\ \\ そのほとんどの人は顔も名前も分からない \end{array} \right. \end{array}

 

これもまた物理的実体を伴う事実です。

 

\begin{array}{lcl} 産まれた &\to& 確実に親が存在する \\ \\ 今生きてる &\to& 赤ん坊の頃に誰かに育てられた \\ \\ 知恵がついた &\to& 知識を遺した誰かがいる \end{array}

 

「論理的に否定する」ことは不可能なものになります。

(無知という前提と屁理屈を用いれば否定自体は可能)

 

 

 

 

 

一般教養として認識すべき事実

 

ほぼ全ての人間にとって

「他人の手を借りていない」という認識は

 

\begin{array}{lcl} 住んでる家は? &\to& 他人が建てた \\ \\ 着てる服は? &\to& 誰かが縫った \\ \\ 飲んでる水は? &\to& 誰かが汲んできた \\ \\ 食べてるものは? &\to& 誰かが育てた \\ \\ 使ってる水道は? &\to& 誰かが整備した \\ \\ 手元のお金は? &\to& 誰かが製造した \\ \\ 金融システムは? &\to& 誰かが維持してる \\ \\ 使ってる電気は? &\to& 誰かが用意してる \end{array}

 

無知無理解による錯覚でしかありません。

(これら全てを一人の力で実現してるなら借りてない)

 

\begin{array}{lcl} 権力 &\to& 従う誰かが存在する \\ \\ お金 &\to& 価値を信じる誰かがいる \end{array}

 

どれだけ権力を持っていようと

どれだけお金を持っていようと

『一人でできること』には限界があります。

 

\begin{array}{lcl} 飲み水 &\to& 水源確保→火起こし→煮沸消毒 \\ \\ 食べ物 &\to& 誰かの知識→採集・栽培・狩猟 → 調理 \\ \\ & \vdots \end{array}

 

目の前にあるどれか1つをとっても

私たち一人がそれを再現することはほぼ不可能です。

(ペットボトル1つとっても自力で再現できる人間は限られる)

 

 

私たちが快適に過ごせているのは

それを実現してくれている数多の他人が存在しているからで

 

\begin{array}{lcl} 名前も顔も知らない多くの他人 &\to& 私たちの生活 \end{array}

 

その存在を否定し無視するというのは

『存在するものを存在しないとする世界』

つまり矛盾した世界観で生きているということになります。

 

 

 

 

 

世界観の矛盾と価値観

 

この『世界観の矛盾』は

 

\begin{array}{l} 矛盾した価値観 & \left\{ \begin{array}{lcl} 個人主義 && 感謝の欠如 \\ \\ 自己責任論 && 認識の欠如 \\ \\ &\vdots \end{array} \right. \end{array}

 

こういった形でわりと身近に存在していて

(世話になった誰かや環境の存在を無視した世界観)

 

\begin{array}{ccc} 変な人 &\to& だいたい世界観が矛盾してる \end{array} 

 

こうして改めて言語化すると

その歪さがはっきり認識できると思います。

 

 

 

 

 

世界観の矛盾と実利

 

また単なる事実として

 

\begin{array}{lcl} 感謝の欠如 &\to& 人格への疑問視 &\to& 孤立 \\ \\ 認識の欠如 &\to& 知能への疑問視 &\to& 自己責任 \end{array}

 

『世界観の矛盾』という状態は

「利益追求」の観点から見ても非常に不合理です。

 

\begin{array}{lcl} 個人主義 &\to& 孤立した人間の集団へ \\ \\ 自己責任論 &\to& 知能の低い人間の集団へ \end{array}

 

『受け入れてもらえる集団』が「減る確率が高い」

 

\begin{array}{lc} 帰属先 && 利益可能性 & 損害可能性 \\ \\ まともな集団 && 高 & 低 \\ \\ おかしな集団 && 低 & 高 \end{array}

 

これがもたらす不利益は容易に想像がつくでしょう。

(まず間違いなくまともなコミュニティからは弾かれる)

 

 

 

 

 

文明社会という神に匹敵する超常的存在

 

『個人で再現が困難なもの』がありふれた世界

それが現代の私たちが生きる世界の実態であり

 

\begin{array}{lclcl} 自然現象 &\to& 超常的 &\to& 人と切り離された神 \\ \\ 文明社会 &\to& 超常的 &\to& 人が主体の存在 \end{array}

 

それを実現する「文明社会」は

 

\begin{array}{lcl} パソコン &\to& 個人で再現不可 \\ \\ \mathrm{Web}回線 &\to& 個人で再現不可能 \\ \\ 携帯 &\to& 個人で再現不可能 \end{array}

 

もはや『個人の意思とは関係の無い現象』の類です。

(日常に奇跡がありふれているのが現代の社会)

 

\begin{array}{lcl} 神の奇跡 &\to& 文明社会の奇跡 \\ \\ 神 &\to& 文明社会 \end{array}

 

「神の奇跡に匹敵するもの」が実在している

この事実を考えると

 

\begin{array}{ccc} 神&\to&見知らぬ数多の他人 \end{array}

 

「神の代替」は身近に存在しているということが分かります。

(目に見える形で私たちに恩恵を与えてくれる誰かは実在する)

 

 

 

 

 

幸福方向性 Direction

 

|| 個の幸福と全体の幸福の両立を目指す

「他者と衝突し辛い幸せを感じる行為」の提示

 

\begin{array}{ccc} 方向性 & \left\{ \begin{array}{lcc} 誰かに承認されるのは幸せなことだ \\ \\ 自然と溢れる敬意が感謝に繋がる \end{array} \right. \end{array}

 

「幸福に感じること全て」の中から

「他者の人格を必要とするもの」を分類し

 

\begin{array}{ccc} 幸福 & \left\{ \begin{array}{ll} 他者の人格を必要とする形の幸福 \\ \\ 他者の人格が不要な幸福 \end{array} \right. \end{array}

 

その中に含まれている

『他人と衝突し辛い』ものを抽出した成果がこれ

(間接的な関わりを含むなら他者との関わりはほぼ必要)

 

 

 

 

 

認知と承認の違い

 

「承認」に限定しているのは

 

\begin{array}{ccc} 認知 & \left\{ \begin{array}{ll} プラスの認知(承認) \\ \\ ただ知られるだけ \\ \\ マイナスの認知(嫌悪や軽蔑など) \end{array} \right. \end{array}

 

「認知」が「幸福」に直結するわけではないからです。

(尊敬や称賛などが幸福に直結する「承認」の中身)

 

\begin{array}{ccc} 現代社会狭義意味 &\to& 本来狭義意味 \\ \\ 承認欲求(認知欲求) &\to& 承認欲求 \end{array}

 

また「承認欲求」という概念の修正を図り

 

\begin{array}{lcl} 不正認知 &\to& 承認より疑問視 \\ \\ 正統認知 &\to& 承認が得られる \end{array}

 

「不正」の虚しさの根拠を提供する

そういう目的も内包しています。

 

 

 

 

 

全員の幸福は求めない

 

「宗教的幸福」もまたそうであるように

 

\begin{array}{ccc} 人間 & \left\{ \begin{array}{l} 規範を受け入れる人 \\ \\ それ以外 \end{array} \right. \end{array}

 

『全員の幸福』を実現することは事実上不可能です。

(無知な人間や欲望優先の人間は一定数存在する)

 

\begin{array}{ccl} 他人が必要 &\to& 幸福規範から外れる \\ \\ &\to& だいたい他人を害する \end{array}

 

なので「幸福規範」が示すこの「方向性」は

『全員の幸福』を目指すためのものではありません。

 

\begin{array}{ccc} 幸福規範外 & \left\{ \begin{array}{l} 悪性幸福 & 犯罪・迷惑など \\ \\ 判別不可幸福 & 競争など \end{array} \right. \end{array}

 

「幸福方向性」が提供するのは

『全体の幸福をないがしろにせず』に

『個人の幸福を得る方法の1つ』であり

 

\begin{array}{ccc} 幸せになりたいけど他人と衝突したくない \\ \\ \downarrow \\ \\ 幸福規範 \end{array}

 

『それを選択しなければならない』という話ではありません。

あくまで「選択肢の1つの提示」です。

 

 

 

 

 

住み分けが必要

 

そして「幸福規範」の役割の1つには

『住み分けの根拠を提示する』というものもあります。

(法律がカバーできない部分を幸福規範が論理的に提供する)

 

\begin{array}{ccc} 人の集団 & \left\{ \begin{array}{ll} 競争も犯罪も避けたい人たち \\ \\ 競争はしたい人たち \\ \\ 犯罪や迷惑でもやる人たち \end{array} \right. \end{array}

 

先に語ったように

「競争や悪人と関わりたくない人間」は

「幸福規範」内でほとんど他者と衝突しませんが

 

\begin{array}{ccc} 幸福規範 & & 幸福規範 && 衝突可能性 \\ \\ 内 &+& 内 &\to& 極小 \\ \\ 内 &+& 外 &\to& 小 \\ \\ 外 &+& 外 &\to& 高 \end{array}

 

その他の人間はそうではありません。

(競争に関しては悪ではないので否定できない)

 

\begin{array}{lcl} 悪人 &\to& 法律や私刑で罰を与え住み分け \\ \\ 競いたい人 &\to& 幸福規範でカテゴリ分けし住み分け \end{array}

 

なので「犯罪や迷惑」を

法律』や『私刑』が取り締まるように

 

\begin{array}{ccc} 幸福規範 &\left\{ \begin{array}{lcl} 内 &\to& 共存しやすい \\ \\ 外 &\to& 共存し辛い \end{array} \right. \end{array}

 

「競争」についてもまた

 

\begin{array}{ccc} 人の集団 & \left\{ \begin{array}{lcl} 幸福規範内の人たち \\ \\ 幸福規範外の人たち \end{array} \right. \end{array}

 

『論理的な基準』を用いて分ける必要があります。

(ここは固定的ではなく流動的であるべき)

 

 

 

 

 

歴史的継承 Historical Heritage

 

|| 死後報酬から模範への敬意へ

「神」を「実在の人物」にすり替えられる根拠

 

\begin{array}{lc} 歴史 && 神話 &\to& 実話 \\ \\ 登場人物 && 神 &\to& 人間 \end{array}

 

『我々の祖先たちが遺した事実』は

『神話』の代替として機能する

 

\begin{array}{ccc} 神 &\to& 人 \\ \\ 規則と死後報酬 &\to& 模範と実体報酬 \end{array}

 

この事実に基づいた「幸福」についての話が

『歴史的継承』という概念になります。

 

 

 

 

 


願い

 

|| 我々の幸福に繋がる実体を構築した指向性

「文明社会」を築いてきた『人々の意志』など

 

\begin{array}{ccc} 願い & \left\{ \begin{array}{lcc} 普遍的な願い \\ \\ 継がれ続ける願い \\ \\ それ以外の願い \end{array} \right. \end{array}

 

これらの内いくつかは

時代も種も人も関係なく継がれてきたもので

 

\begin{array}{ccc} 普遍願望 & \left\{ \begin{array}{lcl} 生きたい &←& 生存本能 \\ \\ 快楽を得たい &←& 報酬系 \\ \\ 正しくありたい &←& 脅威 \end{array} \right. \end{array}

 

その指標の上にあらゆるものは実現されてきたと言えます。

(幸福は生存を前提とした正しさと快楽の延長に存在)

 

 

 

 

 

生存優位形質

 

これは『生き物』が「生存競争を勝ち抜く」上で

(弱肉強食はこの世界における強固な普遍原理)

 

\begin{array}{lcl} 生存本能 &←& 生存への積極性 \\ \\ 報酬系 &←& 優位条件への積極性 \\ \\ 正しさ &←& 脅威認識の正確性 \end{array}

 

遺伝的多様性や環境変化によりたまたま獲得してきたもので

(これを持っていた生物が環境に適応して生き残った)

 

\begin{array}{ccc} 優位形質獲得 &\to& 生存率が向上 \end{array}

 

私たちはこれにより形作られた

「地球生命」の『現在環境の結論』になります。

(生物はこの生存優位形質を切り離せない)

 

 

 

 

 

恐怖と苦痛

 

「願い」の基礎の1つとなる「生存本能」

 

\begin{array}{ccc} 生存本能 & \left\{ \begin{array}{lcl} 恐怖 &\to& 遠ざけたい \\ \\ 痛み &\to& 避けたい \end{array} \right. \end{array}

 

これは『命の危機』への防衛反応であり

『生存優位形質』の1つです。

 

\begin{array}{ccc} 恐怖が遠ざかる &\to& 安心 &\to& 幸福 \\ \\ 痛みを避ける &\to& 安堵 &\to& 幸福 \end{array}

 

また間接的に幸福に直結しますが

この幸福はかなり原始的なので現代では経験し辛いです。

(戦争レベルの生存競争環境で支配的になる)

 

 

 

 

 

快楽と反復

 

これもまた「生存優位形質」の1つで

 

\begin{array}{lcl} 生存優位行動の積極性向上 &\to& 生存確率上昇 \end{array}

 

かなり直接的に「幸福」に繋がる部分になります。

(しかし快楽の希求が必ず幸福に繋がるわけではない)

 

\begin{array}{ccc} 報酬系活性 & \left\{ \begin{array}{lcl} 食事 &←& エネルギー源補給 \\ \\ 睡眠 &←& 低エネルギー状態遷移 \\ \\ 性的刺激 &←& 種の保存 \\ \\ 攻撃 &←& 狩猟や脅威の排除 \\ \\ 達成 &←& 資源獲得や脅威対処成功 \\ \\ 好奇心 &←& 判断材料の獲得 \\ \\ 承認 &←& 集団内優位 \end{array} \right. \end{array}

 

とはいえこれそのものは

『生存に優位であるから』継がれてきたもので

初めから「幸福」に直結していたわけではありません。

 

 

 

 

 

脅威と正確な認識

 

これは「報酬系」と混同されがちですが

きっちり別ルートで先鋭化された「生存優位形質」で

 

\begin{array}{ccc} 脅威に対する正確な認識 &\to& 生存率向上 \end{array}

 

我々の「知能」に最も関わる部分になります。

(報酬系は脳内の働きだがこちらはセンサーの精度も含む)

 

\begin{array}{lcl} 世界を正しく認識できる &\to& 論理的思考能力の発達 \\ \\ 世界を正しく認識できる &\to& 感覚器官の発達 \end{array}

 

皆さんも知っての通り

「真理」は必ず快楽を伴うわけではないので

これは独立したものとして我々の体に組み込まれています。

 

 

 

 

 

報酬系と悪 Zero-sum Hedonism

 

「生存優位形質」の中でも

「人間の悪性を出力する」のはこの部分で

(本質的には結果論であると考えるのが妥当)

 

\begin{array}{ccc} 報酬系活性 & \left\{ \begin{array}{lcl} 食事 &←& エネルギー源補給 \\ \\ 睡眠 &←& 低エネルギー状態遷移 \\ \\ 性的刺激 &←& 種の保存 \\ \\ 攻撃 &←& 狩猟や脅威の排除 \\ \\ 達成 &←& 資源獲得や脅威対処成功 \\ \\ 好奇心 &←& 判断材料の獲得 \\ \\ 承認 &←& 集団内優位 \end{array} \right. \end{array}

 

これが「先鋭化した結果(快楽主義など)」として

 

\begin{array}{ccc} 他者+快楽指向 &\to& 悪 && 〇 \\ \\ 悪 &\to& 快楽指向 && × \end{array}

 

『他者にとっての不利益』が発生し

「他者にとっての悪」という概念が生まれます。

(悪は本質ではなく主観依存の結果認識)

 

\begin{array}{lcl} 他者介在快楽指向 &\to& 悪とされ得る \\ \\ 個人完結快楽指向 &\to& 悪ではない \end{array}

 

そしてこれを言い換えると

「個人完結型の快楽指向」は「悪ではない」と言えます。

(他者が介在しない快楽追及を咎める理屈は存在しない)

 

 

 

 

 

悪は人間の内在原理ではない

 

以上のことから分かるように

(悪は快楽指向により不利益を被った他者の評価)

 

\begin{array}{lcc} 人は生まれながらの悪である && × \\ \\ 人は快楽指向によって他者に不利益を与え得る && 〇 \end{array}

 

「悪」は『人間の機能ではない』ことが明確になるので

(本質的に悪なのではなく悪を成し得る構造になっている)

 

\begin{array}{lcl} 性悪説 &\to& 人間の内部に悪性は無い \\ \\ 原罪 &\to& 他者に悪と認識されるまで存在しない \end{array}

 

少なくとも「性悪説」や「原罪」は否定されます。

(神の責任にする必要は無く事実として内在原理ではない)

 

 

 

 

 

攻撃性正当化要件

 

同様に「人の攻撃性」についても

『悪性』由来と考えるのは不自然で

 

\begin{array}{lcl} 脅威の発見 &\to& 排除 \\ \\ エネルギー源補給 &\to& 狩猟 \end{array}

 

これ自体は単なる「生存優位形質」に過ぎません。

(必要な攻撃に積極的だった生き物が多く生き残った)

 

\begin{array}{lclcl} 攻撃する &\to& 必要な糧を得る &\to& 生存率向上 \\ \\ 攻撃する &\to& 過剰だと脅威認定 &\to& 生存率低下 \\ \\ \\ 攻撃する &\to& 適切な脅威排除 &\to& 生存率向上 \\ \\ 攻撃する &\to& 無謀な脅威排除 &\to& 生存率低下 \\ \\ \\ 攻撃される &\to& 反撃しない &\to& 生存率低下 \\ \\ 攻撃される &\to& 反撃する &\to& 生存率向上 \end{array}

 

微生物ですら持ち得る「生存に優位な活性」です。

(あくまで生存優位なのは『適切な』攻撃性)

 

\begin{array}{ccc} 攻撃される可能性 &\to& 攻撃対処属性の獲得が優位 \end{array}

 

『生存率を上げることを悪だとは言い切れない』ですから

これ自体を悪と断言する根拠は存在しません。

(つまり攻撃性そのものに悪性は無い)

 

\begin{array}{ccc} 攻撃された他者 &\to& 脅威を悪と認識 &\to& 反撃 \\ \\ 攻撃性獲得済み &\to& 攻撃性正当化 &\to& 攻撃 \end{array}

 

『悪と評価された攻撃』が「悪」なんです。

なので『攻撃性』自体は「悪」ではありません。

(反撃は悪なのかという単純な反例が存在する)

 

 

 

 

 

攻撃性と倫理

 

『攻撃性は悪』という主張の反例

 

\begin{array}{lcl} 攻撃性否定 &\to& 倫理は無力 \\ \\ 攻撃性受容 &\to& 倫理が力を持つ \end{array}

 

この中で最も否定し辛いのは

『倫理に力を与える』という明確な役割がある点で

 

\begin{array}{lclcl} 倫理違反 &\to& 反撃無し &\to& 生存優位 \\ \\ 倫理違反&\to& 反撃あり &\to& 生存率低下 \end{array}

 

これを論理的に否定できる根拠は存在しません。

『倫理を大事にするのなら』「攻撃性」は必要不可欠です。

(反撃するなという理屈は倫理的にも論理的にも正しくない)

 

\begin{array}{lclcl} 倫理違反 &\to& 法律で裁ける &\to& 生存不利 \\ \\ 倫理違反 &\to& 法律で裁けない &\to& 生存優位 \\ \\ 倫理違反 &\to& 私刑で裁ける &\to& 生存不利 \end{array}

 

実際、『法律で裁けない悪人』へのカウンターは

「倫理に力を与える」という方法しか存在しません。

(本質的には倫理が最上位で法律は下位概念です)

 

 

 

 

 

集団への貢献と同じ行動

 

この観点から分かる通り

 

\begin{array}{lcl} 倫理違反者 && 快楽指向による攻撃 \\ \\ 復讐者 && 倫理違反者への攻撃 \end{array}

 

両者は「攻撃をする」という点だけは同じですが

(魚と人間には目があるみたいな意味での同じ)

 

\begin{array}{lcl} 倫理違反者 && 集団秩序に敵対 & 倫理違反 \\ \\ 復讐者 && 集団秩序への寄与 &集団への貢献 \end{array}

 

『同じ』レベルには決してなりません。

(復讐者は倫理範囲であれば攻撃が倫理違反にならない)

 

 

 

 

 

善と悪

 

「悪」という概念がそうであったように

実は「善」もまた我々人間の基本原理ではありません。

 

\begin{array}{lcl} 他者の利益になる &\to& 善 \\ \\ 集団の利益になる &\to& 善 \end{array}

 

これは「人間に内在するもの」ではなく

 

\begin{array}{lcl} 快楽指向 &\to& 他者不利益 &\to& 悪 \\ \\ 行動 &\to& 他者利益 &\to& 善 \end{array}

 

「悪」と同様『他者の評価により成り立つもの』です。

「他者の評価」が無ければ『善悪は存在しません』

(成立の仮定は善も悪も同型)

 

 

 

 

 

悪と正義

 

これは「善」とは異なり

 

\begin{array}{ccc} 攻撃する &\to& 反撃する \\ \\ 悪 &\to& 正義 \\ \\ \\ 怖いと感じる &←& 脅威 \\ \\ 正義 &←& 悪 \end{array}

 

『悪を前提とする概念』です。

(善は悪という概念を必要としない)

 

\begin{array}{ccc} 悪を排除したい &\to& 正当化 &\to& 攻撃 \\ \\ 脅威 &\to& 正義 &\to& 攻撃 \end{array}

 

『悪を排除することを正当化できる』根拠になり

(脅威だから排除しないとこっちが死ぬ)

 

\begin{array}{ccc} 悪 &\to& 感情活性 &\to& 攻撃正当化(正義) \end{array}

 

「恐怖・怒りなど」の活性から

「攻撃」の活性に繋げるという役割を担っています。

(特に集団であれば攻撃を正当化する共通認識になる)

 

 

 

 

 

正しさと生存

 

「正しさ」もまた『生存優位形質の1つ』である

 

\begin{array}{lcl} 脅威に対する正確な認識 &\to& 生存率向上 \\ \\ 正確な判断による利益最大化 &\to& 生存率向上 \end{array}

 

これは先に説明した通りで

 

\begin{array}{lcl} 脅威の情報取得 &\to& 感覚器官の発達 \\ \\ 脅威の情報整理 &\to& 論理的思考能力の発達 \end{array}

 

我々の持つ「感覚器官」や「脳構造の一部」は

生存競争の中で生き残った生物から受け継がれています。

(世界を正しく認識した生物の生存確率が高かった)

 

 

 

 

 

正しさと倫理

 

↑ は生物レベルで通じる話ですが

 

\begin{array}{lcl} 生物 &→& 反射的な判断 \end{array}

 

「倫理」の水準に達するには

 

\begin{array}{lcl} 他者 &\to& 協力し合える \\ \\ 他者 &\to& 脅威になり得る \end{array}

 

『他者』や『集団』という概念が必要になります。

(必要というより他者がいなければ発生し得ない)

 

\begin{array}{lcl} 〇して良い &\to& 〇す && 脅威排除 \\ \\ 〇して良い &\to& 〇す && 快楽指向 \end{array}

 

実際、他者が存在しない状態であれば

我々は容易に倫理違反を犯し得る生き物であり

 

\begin{array}{ccc} 不利益無し &\to& 倫理に従う? &\to& 不要 \\ \\ 不利益あり &\to& 倫理に従う? &\to& 必要 \end{array}

 

生存率低下要因が無い状態であれば

そもそも「倫理に従う理由」が存在しません。

(つまり倫理形質を持つことは生存優位であったはず)

 

\begin{array}{ccc} なんらかの理由 &\to& 倫理は生存優位 \end{array}

 

この事実から分かる通り

『倫理を持つに至る理由』が存在したことは明らかで

(集団内生存優位形質が倫理として残ったと考えると整合的)

 

\begin{array}{lcll} 原始生存優位 && 集団形成 & できなかった生物は淘汰 \\ \\ 必要生存優位 && 集団秩序 & 無秩序な集団は淘汰 \\ \\ 高等生存優位 && 倫理形勢 & 秩序維持優先集団が生存 \end{array}

 

それは我々人類が持つ

『集団形成』という生存優位から必然的に推定できます。

(途方もない年月を我々の先祖は集団内で生きてきた)

 

 

 

 

 

資源共有と倫理

 

↑ を示す典型的な例として

我々は『社会の発展』により

(倫理従属優先と倫理違反者排除の成果)

 

\begin{array}{cccl} 独占頻度 & 資源共有頻度 && \\ \\ 低 & 高 &\to& 全体が潤う \\ \\ 高 & 低 &\to& 全体が目減りする \end{array}

 

「資源と技術の共有」を果たし

『飢える可能性が低い社会』を形成するに至りました。

(自己と他者の利益両立が正しいと判断した個体が増えた結果)

 

\begin{array}{lcl} 全体資源枯渇 &\to& 奪い合うしかない \\ \\ 全体資源潤沢 &\to& 協力し発展する余裕がある \end{array}

 

奪い合いに至るコミュニティは生存率が下がり

過剰を共有しバランスをとった集団が発展した

 

\begin{array}{lc} 社会傾向 & & 奪い合い頻度 & 助け合い頻度 \\ \\ 独占優位 && 高 & 低 \\ \\ 共有優位 && 低 & 高 \end{array}

 

現代社会の観察からも分かる通り

独占優位社会は貧困や革命に繋がり分裂もしくは滅びるが

 

\begin{array}{lcl} 共有優先社会が優位 &\to& 共有優先は正しい \\ \\ &\to& 正しさとして倫理へ昇華 \end{array}

 

全体共有を優先した社会はほぼ例外なく発展しています。

(共産主義は表向き共有ですが実態は独占なので例外)

 

 

 

 

 

優秀性承認と正当な独占

 

「共有優先」というのは

『独占を完全に否定しない』という意味も含んでいて

 

\begin{array}{lcl} 集団利益提供 &\to& 社会承認と高い報酬 \end{array}

 

事実、こういった「正当な独占」は

逆に『正当化されなければならない』ものになります。

 

\begin{array}{lcl} 極端な平等主義 &\to& 劣る方が多く利益を享受 \\ \\ 優秀承認も差別 &\to& 努力が無意味に \end{array}

 

というのも実際の歴史観察から分かる通り

これを正当化しない社会は例外なく衰退しました。

(構造上そもそも成功するはずがない時代逆行システム)

 

\begin{array}{lcc} 集団への貢献 &\to& 無意味 &\to& 減少 \\ \\ 集団への貢献 &\to& 独占承認 &\to& 増加 \end{array}

 

考えてみれば当たり前の話で

『努力に報酬が無い』社会が成立するわけ無いんです。

(集団への貢献が無くなる社会が形成されるため)

 

\begin{array}{lcl} 集団への貢献が少ない集団 &\to& 生存率低下 \\ \\ 集団への貢献が多い集団 &\to& 生存率増加 \end{array}

 

実際、我々の「倫理」という感覚は

 

\begin{array}{lcl} 倫理 &\to& 努力は尊い \\ \\ 倫理 &\to& 頑張りは評価するべき \\ \\ 倫理 &\to& 成果を出した人の報酬が多いのは当然 \end{array}

 

これをそうあるべきだと判断する傾向が強いです。

(自身も独占できる可能性があるという利もあるため)

 

 

補足するなら

「私たちに利益を与える頑張っている人」に対し

『報われて欲しい』という感覚を出力する

 

\begin{array}{lcl} 貢献評価倫理 & \left\{ \begin{array}{lcl} 自分を育ててくれた &\to& 承認 \\ \\ 自分たちを救ってくれた &\to& 承認 \\ \\ 自分たちを支えてくれた &\to& 承認 \\ \\ 自分たちを楽しませた &\to& 承認 \\ \\ 自分たちの生活を便利にした &\to& 承認 \\ \\ &\vdots \end{array} \right. \end{array}

 

これは酷く「人間的な感覚」であり

まさに『倫理』の中の代表的な判断基準だと言えます。

(集団への貢献個体の承認は生存優位形質)

 

 

 

 

 

利己と利他

 

「利己的」というと悪いイメージが先行しますが

 

\begin{array}{lcl} 自分を最優先 &\to& 生存率向上 \end{array}

 

実態は『生存戦略における生物の前提』でしかありません。

(利己的であることそのものは善でも悪でもない)

 

\begin{array}{lcl} 利他 & \left\{ \begin{array}{lcl} 自発的利他 & 計算や自由行使など \\ \\ 強制的利他 & 脅迫からの回避など \end{array} \right. \end{array}

 

「強制的利他」は『生存本能』に由来するものであり

「自発的利他」は『利己の上に成立するもの』です。

(自分の生存率が上がるから他者を助ける)

 

\begin{array}{ccc} 自発的利他 &\Longleftrightarrow& 自身と他者が利益を得る行為 \end{array}

 

なのでこれらは切り離された概念ではなく

密接不可分の概念になります。

 

 

 

 

 

利己的であることに内罰は不要

 

↑ の事実から分かることとして

 

\begin{array}{lcl} 宗教の煩悩仮説 &\to& 利己は克服すべき \\ \\ 生存率向上仮説 &\to& 利己は生物の前提 \end{array}

 

「自分の利益を考える」ことに『罪悪感』を覚える

これがまったく不要であることが分かります。

 

\begin{array}{lcl} 人助け &\to& 気分が良い \\ \\ プレゼント &\to& 喜んでくれたら嬉しい \\ \\ 自己犠牲 &\to& 自分がしたいからする \end{array}

 

「自分の利益を考える」のは

『生物として当たり前のこと』です。

(恥ずべきことでも戒めるべきことでもありません)

 

\begin{array}{lclcl} 自分だけ得する &\to& 他に損害が無い &\to& 問題無し \\ \\ 自分だけ得する &\to& 他に損害が出る &\to& 倫理違反 \end{array}

 

「恥を活性させる」行為は『倫理違反』であり

「利己的であること」そのものは倫理違反ではありません。

(ただし利己的な行為は倫理違反になり得る)

 

 

 

 

 

利己と利他の両立

 

人間を含む生物として最も優れている性質

 

\begin{array}{lcl} 奪わなければ死ぬ &\to& 奪うしかない \\ \\ 与えられる &\to& 奪う必要が無くなる \end{array}

 

それは『利己的な生物である』上で

『他者の利になることを選択できる』ことである

 

\begin{array}{lclcl} 集団形成 && 自己利益 &\to& 集団利益 \\ \\ 事実 && 他者利益 &\to& 集団利益 \\ \\ 還元 && 自己利益 &←& 集団利益 \\ \\ 間接利益 && 自己利益 &\to& 他者利益 \end{array}

 

これが『無作為な遺伝形質あるいは環境要因』の中で

「最も生存確率を高める集団の倫理になった」こと

 

\begin{array}{ccc} 自然淘汰 &\to& 他者を助けられる生物の誕生 \end{array}

 

これはまさに奇跡と呼ぶべき現象であると

少なくとも私はそう思うんですがいかがでしょうか。

(神の奇跡では無く生存率向上の収束によりこうなった)

 

 

 

 

 

正しさと幸福

 

「秩序維持優先形質」である

「倫理」という根源基準がそうであるように

『正しさに従う』ことを「報酬系に直結できた」個体

 

\begin{array}{lclcl} 承認が報酬 &←& 利他が利益に &←& 集団優位 \\ \\ 達成で報酬 &←& 正確な計画は利 &←& 正確性優位 \\ \\ 報酬可能性増大 &←& 判断材料増加 &←& 正確性優位 \end{array}

 

そんな祖先から受け継いだのが

「正しさの追求は楽しい」という感覚や

「正しさへの従属は安心できる」という感覚で

 

\begin{array}{lcl} ほとんどの快楽 &\to& お金で代替可能 \\ \\ 真理追及の快楽 &\to& お金で代替不可能 \end{array}

 

特に現代に生きる人間にとって

 

\begin{array}{lcl} 正統な競争上位 &\to& 達成と承認 \\ \\ 不正な競争上位 &\to& 達成と倫理違反 \\ \\ \\ 真理探究 &\to& 好奇心と達成と承認 \\ \\ 試行錯誤 &\to& 達成と好奇心 \end{array}

 

この「正しさを元にした幸福」は

「幸福」の中でも『特別な幸福』になります。

(多くの快楽はお金によりインスタントになってしまった)

 

 

 

 

 

幸福と倫理

 

「正しくある」ことが「幸福」に繋がる

 

\begin{array}{lcl} 正しすぎる &\to& 周囲への重圧 \\ \\ 攻撃性正論 &\to& 周囲の反感 \end{array}

 

これは『実際にはそうとは限りません』が

(現実で体験した人はそれなりに多いと思います)

 

\begin{array}{lcl} 倫理違反者 &\to& 全体不利益存在 \\ \\ &\to& 自己不利益可能性存在 \end{array}

 

先に確認した通り

「倫理違反」は『他者からの拒絶』に繋がります。

 

\begin{array}{lcl} 倫理獲得済み集団 &\to& 倫理違反者は悪 \end{array}

 

これは今に限った話ではなく

大昔から『他者に不利益を与える存在』は「悪」なので

(より正確には不利益を被った側にとっての悪になる)

 

\begin{array}{lcl} 不利益を与える &\to& 排除が合理的 \\ \\ 不利益を与える可能性が高い &\to& 排除した方が良い \end{array}

 

「倫理違反」は『排除可能性』を高めることになり

それが結果として生存率に直結します。

 

 

この事実を踏まえると

「合理的に判断する」なら

 

\begin{array}{lcl} 倫理を優先 && 排除され辛く承認を得やすい \\ \\ 倫理を無視 && 利はあり得るが排除対象になる \end{array}

 

「倫理に従う」という判断は

 

\begin{array}{lc} & 幸福可能性& 不利益可能性 \\ \\ 正しい & 高 & 低 \\ \\ 倫理違反 & 低 & 高 \end{array}

 

『他者からの拒絶確率の上昇』を回避し

『幸福になる確率の上昇』に繋がるという理由で正当化されます。

(故に幸福最大化を考えるなら倫理違反選択は不合理)

 

 

 

 

 

快楽と倫理

 

また「倫理への従属」は

「違反者に対する攻撃」という形でも報酬系を刺激します。

(悪者退治が気持ち良いのは生存率上昇に繋がるので当然)

 

\begin{array}{lcl} 悪を排除 &\to& 不利益可能性の低下 \\ \\ 悪を排除 &\to& 承認獲得可能性の上昇 \end{array}

 

『過剰な攻撃』は「倫理違反」になりますが

『秩序維持の観点』で判断するなら

 

\begin{array}{lcl} 個人への暴言 &\to& 個人への暴言 && 〇 \\ \\ 個人への暴言 &\to& 個人への暴力 && △ \\ \\ \\ 個人への暴力 &\to& 個人への暴力 && 〇 \\ \\ 個人への暴力 &\to& 報復対象の家族への暴力 && △ \end{array}

 

「正しい位置に立った上で」の

 

\begin{array}{lclcl} 権力者の権力乱用 &\to& 被害規模大 \\ \\ &\to& だいたい何でも〇 \\ \\ &\to& 現代では投票行動など \\ \\ &\to& 企業なら不買運動など \end{array}

 

『過剰ではない攻撃』は正当化されるため

(権力濫用は死者数が膨大なので最高刑罰レベルが妥当)

 

\begin{array}{lcl} まともな権力者 &\to& 悪い印象へ誘導 && × \\ \\ 売国奴 &\to& 敵への攻撃は最優先 && 〇 \end{array}

 

「倫理」は『娯楽』にも深く関わっています。

(これもまた倫理に『力』を与える事実の1つ)

 

 

 

 

 

倫理と生存率と善意

 

以上のことから分かるように

 

\begin{array}{lcl} 倫理優先 &\to& 承認個体化 & \left\{ \begin{array}{lcl} 排除可能性低下 \\ \\ 協力可能性向上 \end{array} \right. \end{array}

 

「倫理優先」は「生存率向上」と直結しています。

(生存合理性の観点だと倫理優先は最高効率)

 

\begin{array}{lcl} 倫理優先 &\to& 相互利益 && 〇 \\ \\ 倫理優先 &\to& 無償の献身 && △ \end{array}

 

しかしこの倫理は「利己」を前提とするもので

それ故に「無償の献身」はその中に含まれません。

(無償の善意は生物原則に反する行為)

 

\begin{array}{lcccl} 目的不明の善意 &\to& 疑う && 正常 \\ \\ 目的不明の善意 &\to& 信用 && あり得ない \end{array}

 

このことから分かるように

「無償の善意」に対して『疑いを持つ』のは

 

\begin{array}{lcl} 無償の献身 & \left\{ \begin{array}{lcl} したいから &\to& 見えない内部報酬 \\ \\ 信用を得たい &\to& 見えない目的 \end{array} \right. \end{array}

 

「なぜするのか」という

『疑問への解答を求める』という点で

(見えない目的には敵の思惑も含まれる)

 

\begin{array}{ccc} 信用を得たい & \left\{ \begin{array}{lcl} 承認を得たい &\to& 無償ではない \\ \\ 内部に入りたい &\to& 敵の可能性 \end{array} \right. \end{array}

 

『とても正常な感覚である』と言えます。

(無償の善意を疑うことに罪悪感を覚える必要は無い)

 

 

事実として

『良い人戦略』は「敵集団への侵入の常套手段」であり

 

\begin{array}{lcl} 善意を疑う &\to& 敵も入り辛い \\ \\ 善意を信用 &\to& 敵も多く入ってくる \end{array}

 

これを「退けられない集団」は

「内側からの破壊」を免れないという点で

 

\begin{array}{lcl} 善意を疑う &\to& 生存率向上 \\ \\ 善意を信用 &\to& 生存率低下 \end{array}

 

『脆弱な集団である』と評価せざるを得ません。

(現実問題として善意を疑わず信用する集団は弱い)

 

 

 

 

 

倫理と信用の段階

 

「疑う」ことは当然ことである

『疑問』が「生存率向上」に繋がるように

 

\begin{array}{lcl} 疑う &\to& リスク最小化 &\to& 生存率向上 \\ \\ 信用 &\to& 結束が強固に &\to& 生存率向上 \end{array}

 

『どこかの段階』での

「信用」もまた「生存率の向上」に寄与する

 

\begin{array}{ccc} 信用 &\to& 倫理観上では重要 \end{array}

 

これもまた間違えようのない事実です。

(しかしこのままでは概念上の矛盾が生じる)

 

\begin{array}{lcl} 信用 & \left\{ \begin{array}{ll} 生存率向上信用 \\ \\ 生存率低下信用 \\ \\ 生存率寄与不明信用 \end{array} \right. \end{array}

 

となると

ここで問題になるのが「信用のための基準」ですが

 

\begin{array}{ccc} 信用 &\to& リスク許容 \end{array}

 

これは「確実なものは存在しません」

(しかしある程度現実的な指標は存在する)

 

\begin{array}{l} 信用リスク & \left\{ \begin{array}{lcl} 秘密の漏洩 \\ \\ 財産の盗難 \\ \\ 殺害可能性 \end{array} \right. \end{array}

 

『疑問』にもリスクがあるように

『信用』にもまたリスクは常に存在します。

 

\begin{array}{lcl} 観察段階 && 信用に足るか人物評価 \\ \\ 評価段階 && 許容可能な範囲か \\ \\ 暫定的信用段階 && もう疑うのを止めたい \\ \\ 完全信用段階 && 疑う必要が無い \end{array}

 

しかし「信用の段階」として

 

\begin{array}{ccc} 暫定的信用 & \left\{ \begin{array}{lcc} 裏切られたらしょうがない \\ \\ 裏切った場合の保険を用意 \end{array} \right. \end{array}

 

『完全信用手前の信用』という形で

(倫理に組み込まれている狭義の信用はこれ)

 

\begin{array}{lcl} 保険 & \left\{ \begin{array}{lcl} 重要な秘密は共有しない \\ \\ 財産に関わる部分は触れさせない \\ \\ 寝る時間の寝所への立ち入り禁止 \end{array} \right. \end{array}

 

このような基準を設けることは可能で

(死なない範囲であれば裏切りを許容する)

 

 

この『暫定的信用』の概念を用いれば

 

\begin{array}{lcl} 無情報完全信用 &\to& 倫理はダメだと判断 \\ \\ 暫定的信用 &\to& 倫理が推奨してるのはこれ \\ \\ 発展型完全信用 &\to& 倫理おいて理想とする信用状態 \end{array}

 

「実際の観察」との整合と

(初対面での完全信用を正しいと感じる人間はほぼいない)

 

\begin{array}{lcl} 警戒 && 生存本能による反射 \\ \\ 疑問 && 正しさチェック \\ \\ 暫定的信用 && 承認や安心などの報酬系刺激 \end{array}

 

「疑いと信用が倫理に含まれる」ことの

 

\begin{array}{lcl} 無情報完全信用 && 許容すると生存率低下 \\ \\ 暫定的信用 && 生存率向上に繋がる最適化された形 \\ \\ 発展型完全信用 && 人間関係における理想の友好関係 \end{array}

 

「矛盾の解消(無情報完全信用の除外)」が実現できます。

(故に完全信用しないことは当然な上に悪ではない)

 

 

 

 

 


歴史 History

 

|| 神話を代替できる事実の集まり

「神話」よりも説明強度が高い事実

 

\begin{array}{lc} 超越的存在 &\to& 神話 &\to& 世界を説明 \\ \\ 超越的現象 &\to& 歴史 &\to& 世界を説明 \end{array}

 

現代における「神話の役割」は

この「歴史」が引き継ぐことができます。

(歴史と数理の発展により神話の言い換えが可能)

 

 

 

 

 

宗教と正しさ

 

「宗教」の起源を紐解いていくと

 

\begin{array}{lcl} 正しさ追及 &\to& 世界の説明(宗教の誕生) \\ \\ 受け入れやすさ向上 &\to& 神の存在や救いの存在など \\ \\ 宗教の淘汰 &\to& 受容率の高いものが残る \\ \\ 集団に浸透した後 &\to& 統治の手段へ \end{array}

 

「統治手段」というのは結果論で

『世界の説明』が出発点だと考えると整合的です。

 

\begin{array}{lcl} 統治の手段 &\to& 宗教 && △ \\ \\ 世界の説明 &\to& 宗教 && 〇 \end{array}

 

実際、現代に至るまで残った宗教は

『必ず統治の手段になっているわけではありません』

(後の時代に統治を目的として作られた宗教はある)

 

 

 

 

 

宗教と幸福

 

「生き残った神話」の中には

『人を幸福にする』ための記述が存在しますが

 

\begin{array}{lc} 宗教世界観 && 神 &\to& 救済 &\to& 幸福 \\ \\ 科学世界観 && 現実 &\to& ? \\ \\ 歴史世界観 && 現実 &\to& 正確な認識 &\to& 選択的幸福 \end{array}

 

これは『受容率』という観点よりも

 

\begin{array}{lcl} 考えたくない &\to& 何かに委ねる \\ \\ 自分は悪くない &\to& 他の何かのせい \\ \\ こう考えると都合が良い &\to& 内部真理化 \end{array}

 

「自身の安定」を前提とする

(理不尽で不条理な苦痛や不安への解釈)

 

\begin{array}{lcl} 自身の精神的安定 &\to& 正しさ整合 \\ \\ 内部真理の言語化&\to& 神話の原型創出 \\ \\ 同様の他者の不安&\to& 共感と承認期待(倫理) \\ \\ &\to& 神話の原型を共有 \\ \\ &\to& 承認強化による行動反復 \\ \\ &\to& 同様の安心が集団へ浸透 \end{array}

 

「共感」から得られたと考えるのが整合的です。

(共感から倫理に基づく他者への救いに繋がる)

 

\begin{array}{lcl} 原始集団生物 &\to& 言語保有生物 \\ \\ 秩序維持倫理獲得 &\to& 神話形成可能言語獲得 \end{array}

 

故に『受け入れられる確率の向上』は結果論

「より需要のあった宗教」が生き残ったのは

 

\begin{array}{lcl} 自分に都合が良い &\to& 集団に都合が良い \\ \\ &\to& 受容率向上 \end{array}

 

事後的な結果論であると考えるのが自然だと言えます。

(受容率は本質ではなく結果から見た評価基準)

 

 

 

 

 

受容率と生存率

 

「神話の淘汰」の経路もまた

「生物の淘汰」と同様に考えると

 

\begin{array}{ccc} 受容率向上 & \left\{ \begin{array}{lcl} 思考的負荷 &←& 生存優位の正しさ \\ \\ 心理的負荷 &←& 報酬系刺激 \\ \\ 共有可能性 &←& 集団内倫理 \end{array} \right. \end{array}

 

先に言っていたように

「受容率向上」で整合的な説明ができます。

 

\begin{array}{lcl} 思考的負荷 & \left\{ \begin{array}{lcl} 原因単純化 &\to& 神の存在 \\ \\ 無批判化 &\to& 神からの罰 \end{array} \right. \end{array}

 

いずれも重要な要素で

 

\begin{array}{lcl} 精神的負荷 & \left\{ \begin{array}{lcl} 実体報酬期待 &\to& 救済などの間接利益 \\ \\ 精神的報酬 &\to& 免責や意味付与 \end{array} \right. \end{array}

 

どれが欠けても

(免責は安心に繋がり意味付与は承認に繋がる)

 

\begin{array}{ccc} 共有可能性 & \left\{ \begin{array}{lcl} 説明能力 &←& 集合知へのカウンター \\ \\ 集団承認 &←& 集団に利益があるか \end{array} \right. \end{array}

 

現代まで続くことは無かったと思われます。

(現代科学は実体報酬が強固で共有可能性が高い)

 

 

 

 

 

神話の代替と歴史

 

「幸福規範」における『歴史的継承』は

『神の代替』を与えるためのものと言いましたが

 

\begin{array}{lcl} 原因単純化 &\to& 生存率向上 \\ \\ 無批判化 &\to& 批判に否定不可の解答がある \\ \\ \\ 実体報酬期待 &\to& 正しさによる間接利益 \\ \\ 精神的報酬 &\to& 利己や攻撃性の罪悪感を消せる \\ \\ \\ 説明能力 &→& 集合知にも否定困難 \\ \\ 集団承認 &→& 理論として科学よりも強固 \end{array}

 

それはつまりこういう話で

 

\begin{array}{lcl} 神話 &\to& 生存率向上と淘汰の歴史 \\ \\ 神 &\to& 文明社会を築き維持する人々 \end{array}

 

ここにおける「歴史(生物あるいは人間の)」は

「神話」の代替として機能します。

 

 

 

 

 

願いと倫理

 

「生物の歴史」と

 

\begin{array}{ccc} 生存率向上 &\to& 生き残ったのが今の生物 \end{array}

 

「宗教の歴史」を見ればわかるように

 

\begin{array}{ccc} 受容率向上 &\to& 残ったのが今の宗教 \end{array}

 

『自分が幸せになりたい』という前提と

『誰かを幸せにしたい』という「願い」が

 

\begin{array}{lclclcl} 正しさ &\to& 宗教 &\to& 科学 &\to& 幸福規範 \\ \\ 報酬系 &\to& 死後 &\to& 現在 &\to& 方向性 \end{array}

 

『人々を実際に救ってきた』からこそ

古い時代から現代に至るまでこれらは継がれてきました。

 

\begin{array}{ccc} 利己の最大追及 &\to& 利他が合理的 \\ \\ 都合の良い解釈 &\to& 思いやり \end{array}

 

私はこれを神の奇跡に勝る歴史的事実だと思うんですが

皆さんはどう思われますか?

 

 

補足しておくと

 

\begin{array}{c} 方向性 && 都合の良い解釈 \\ \\ 肯定的 && 思いやり &\to& 素敵 \\ \\ 否定的 && エゴ &\to& 感じ悪い \end{array}

 

この2つに真偽の差はありません。

「違い」は『自分にとってどうか』だけです。

(つまりどちらも真なので前者選択が合理的)

 

\begin{array}{lcl} 攻撃したい &\to& 否定的解釈を選択 \\ \\ &\to& 自身にも否定的解釈が適用される \\ \\ &\to& 間接的には自己否定になる \end{array}

 

また「攻撃したい側」は「エゴ」を選択し得ますが

その場合は『自身の思いやり』を否定することになります。

(つまりいずれにせよ合理的には「思いやり」が選択される)

 

 

 

 

 

歴史と敵

 

「分かり易い倫理違反者」とは異なる

『倫理を利用する悪』の存在

 

\begin{array}{lcl} すぐ分かる倫理違反者 &\to& 分かり易い悪 \\ \\ うまく隠れる倫理違反者 &\to& 巨大になり得る悪 \end{array}

 

いつの時代であっても

我々の『本当の敵』はこいつらで

(分かり易い奴らは敵というより害獣の類)

 

\begin{array}{lclcl} 昔 && 奴隷商 &\to& 国内に損は無い \\ \\ 今 && 移民斡旋 &\to& 差別や平等で正当化 \end{array}

 

現代ではこのような形で存在しています。

(おそらくこれからも似たような形で存在し続ける)

 

 

そしてこういう悪が存在する以上

 

\begin{array}{lclcl} 悪 &\to& 反撃無し &\to& 集団崩壊 \\ \\ 悪 &\to& 反撃あり &\to& 集団防衛可能性 \end{array}

 

こいつらと戦い続けるために

私たちは「攻撃性を持ち続ける必要」があり

(攻撃性が無ければただ奪われて死ぬだけ)

 

\begin{array}{lclcl} 悪を攻撃した集団 &\to& 秩序維持成功 &\to& 集団存続 \\ \\ 悪を攻撃しない集団 &\to& 秩序崩壊 &\to& 集団崩壊 \end{array}

 

この『歴史的事実』が「人間の攻撃性」を正当化します。

(悪が完全に消えた世界でのみ攻撃性は否定できる)

 

 

ちなみにこういった

 

\begin{array}{ll} 利権 & \left\{ \begin{array}{lcl} 少数得+全体得 &\to& 偉業 \\ \\ 少数得+全体無 &\to& 否定は困難 \\ \\ 少数得+全体損 &\to& 悪 \end{array} \right. \end{array}

 

「誰も損をしない利権構造」は

 

\begin{array}{cc} 承認可能独占 &\to& 問題無し \\ \\ 過剰独占 &\to& 悪 \end{array}

 

「過剰な独占が起きていない」なら

 

\begin{array}{ccc} 偉業利権 & \left\{ \begin{array}{l} 必要なインフラ関連 \\ \\ 必要な警備システム \\ \\ 生活を便利にする \\ \\ 日常を彩る娯楽 \end{array} \right. \end{array}

 

逆に称賛されるべきものになります。

(この構想を実現することを偉業を成すという)

 

\begin{array}{ccc} 少数グループ & 全体 \\ \\ 得 & 損 &\to& 悪 \\ \\ 過剰利益 & やや得 &\to& 否定し辛い悪 \end{array}

 

この事実から

後の時代の悪はこのような形になると推測できます。

(ブラック企業の型が巨大利権構造の型になる)

 

 

 

 

 

歴史と勝利

 

以上のような

 

\begin{array}{lcl} 生物的勝利 &\Longleftrightarrow& 生き残った \\ \\ 集団的勝利 &\Longleftrightarrow& 集団が壊れなかった \end{array}

 

「悪に勝ってきた」のが我々の祖先であり

(悪は明確な生存率低下要因なので排除する必要がある)

 

\begin{array}{ccc} 悪への対処成功 &\to& 集団維持 &\to& 生存率向上 \\ \\ 悪への対処失敗 &\to& 集団崩壊 &\to& 生存率激減 \end{array}

 

それによって『維持できた集団』が

現在でも残っている「国家」に当たります。

(国家の維持は感覚的に分かる通り生存率に直結)

 

 

 

 

 

子供と生存率

 

付け加えると

 

\begin{array}{ccc} 我々の生活環境 &←& 先祖からの継承 \end{array}

 

この「集団を継承してきた子供」こそが我々であり

 

\begin{array}{ccc} 子供が増加 &\to& 集団維持可能性向上 \\ \\ &\to& 生存率向上 \end{array}

 

私たちに限らず

この「子供」という存在は『集団の維持』に必須

 

\begin{array}{ccc} 子供を持つ &\to& 倫理推奨 &\to& 承認 \end{array}

 

故に「子供を持つ」ことは

 

\begin{array}{lcl} 親になる &\to& 集団への貢献個体と認識される \\ \\ &\to& 集団から承認が得られ助けられる可能性向上 \\ \\ &\to& 生存率が上がる \end{array}

 

『集団からの承認』に繋がるため

(実際の観察から子供を持つ親へ我々は敬意を持つ)

 

\begin{array}{ccc} 生存率を上げたい &\to& 子供を作るべき \end{array}

 

合理的に考えるのであれば

私たちは子供を作るべきだと言えます。

 

 

 

 

 

子供と完全信用

 

また「子供」という存在とは

最も『発展型完全信用』の関係が形成しやすく

(他者でも可能だが最もローコストなのは子供)

 

\begin{array}{lcl} 大人 &\to& 複雑な利己性を持つ \\ \\ 子供 &\to& 反射的な利己性を持つ \end{array}

 

「子供から親への信頼」には

 

\begin{array}{ccl} 親への承認 &\to& 無情報完全信用 \\ \\ &\to& 親の庇護を得やすくなる \\ \\ &\to& 生存率が向上する \end{array}

 

少なくとも『自発的には』なんの打算もありません。

(親から子への信頼とはまったく異なる)

 

\begin{array}{ccc} 大人の愛情 &\to& 必ず利害が絡む \end{array}

 

故に『一切の打算の無い愛情』は

「子供からのみ」得ることが可能なため

 

\begin{array}{ccc} 無償の愛情が欲しい &\to& 提供できるのは子供のみ \end{array}

 

「無償の愛情を得たい」のであれば

『子供を作る』以外に方法はありません。

 

 

 

 

 

歴史と生き方

 

現代に生きる我々では

遠い祖先の具体的な願いを断定することはできませんが

(生存率向上に基づく抽象的な願いは分かる)

 

\begin{array}{lcl} 祖先の願い & \left\{ \begin{array}{lcl} 家族の幸せ &←& 種の保存本能 \\ \\ 友人の幸せ &←& 間接的な自己利益 \\ \\ 全体の幸せ &←& 間接的な自己利益 \end{array} \right. \end{array}

 

「我々が生きている」ことや

「国家が存続している」事実を鑑みるに

 

\begin{array}{lcl} 献身 & \left\{ \begin{array}{lcl} 家族範囲 && 教育や財産の共有など \\ \\ 親しい範囲 && ある程度の負担は許容 \\ \\ 知り合い範囲 && 負担の少ない手助けなど \\ \\ 組織範囲 && 給料以上の働きなど \\ \\ 国家範囲 && 命懸けの仕事や研究など \end{array} \right. \end{array}

 

彼ら彼女らの生き方はある程度想像できて

その生き方に「共感」を覚えることは可能です。

(特にここ何百年かは遺伝的にそこまで変わってない)

 

 

そしてこれは

 

\begin{array}{lcc} 私たちは過去の願いを受け取っている \\ \\ 自分にできないことを誰かがしてくれている \\ \\ 私たちもまた誰かのために生きることができる \end{array}

 

「生き方」や在り方の指標になる

代表的な『歴史的事実』で

 

\begin{array}{lcl} 生き方 & \left\{ \begin{array}{lcl} 周りに合わせた生き方 \\ \\ 自分で好きに選択した生き方 \\ \\ バランスの取れた生き方 \end{array} \right. \end{array}

 

こういう生き方を見て

(個の力でも遺したものが集団を支える材料になる)

 

\begin{array}{ccc} 悪くない生き方 & \left\{ \begin{array}{lcl} 家族のために働く\\ \\ 見えない誰かの1人になる \\ \\ 良いと思ったものを後世に遺す \\ \\ 先祖の願いを継承する \end{array} \right. \end{array}

 

私は「悪くない生き方」だと感じるんですが

皆さんはどう思われるでしょうか。

 

 

 

 

 

幸せであれ

 

いろいろごちゃごちゃ語ってきましたが

結局、言いたいことはこれだけです。

 

\begin{array}{c} 幸福規範 & \left\{ \begin{array}{lcl} 生存率向上 &\to& 優れた説明の道具 \\ \\ 快楽を得たい &\to& 悪は人の原理ではない \\ \\ 利己は前提 &\to& 変な罪悪感は不要 \\ \\ 利己と利他 &\to& 人は人を思いやれる \\ \\ 思いやり &\to& 善は人の合理的帰結 \\ \\ 倫理違反と悪 &\to& 攻撃性は必要 \\ \\ 親になる &\to& 無償の愛情と集団承認 \\ \\ &\vdots \end{array} \right. \end{array}

 

これは純然たる『私の願望』であり

『私が得をするから』主張しています。

 

\begin{array}{ccc} 私がそうなって欲しい &\to& 結果的に利他 \end{array}

 

先に語ってきたように

「他者への善意」は合理的帰結です。

過度に神聖視する必要はありません。

 

\begin{array}{ccc} 他者の幸せを願う &\to& 自分の利益になる \end{array}

 

これは「人間であるなら当たり前の願望」であり

特に珍しいものではないんです。

 

 

以上

 

\begin{array}{ccc} 生存率向上の追求 &\to& 他者を思いやる \end{array}

 

我々は『思いやりを獲得できた生物』である

この『合理的な帰結』として得られた

 

\begin{array}{ccc} 利己的生物だから他者への思いやりを獲得できた \\ \\ ↓ \\ \\ 人間は善性や悪性ではなく合理的に人を思いやれる \end{array}

 

『我々人類が誇るべき性質』を改めて明示し

「幸福規範」について〆とさせて頂きます。